受験生だった人に伝えたい、合格・不合格という結果との向き合い方。塾講師歴23年の著者が考える、合否に”強く固執する”と嵌ってしまう罠の存在

今年度も3月という節目を迎えました。まずは受験という険しい山を登り終えた皆さん一人ひとりが懸命に駆け抜けてきた時間を、僕は心から讃えたいと思います。
念願叶って合格を手にした皆さんには、心からの「おめでとう」を贈ります。惜しくも不合格だった皆さんにも、その努力と勇気ある挑戦に敬意を込めて、「おつかれさま」とお伝えしたいと思います。そして、いまは少し立ち止まり、自分の呼吸を整える時間を持つことを、どうか自分に許してあげてほしいと思います。
受験の「過程」がその人を変える
受験という大きな目標に向かって走り続けた皆さんにとって、それは人生を決定づけるほど大きな意味を持つと感じられたでしょう。合格を手にした瞬間、すべてが報われたと感じる一方で、不合格となれば、すべての努力が無駄に終わったと深く落胆することもあります。
しかし、目標に向かって努力するその行為自体が、人を大きく変容させる貴重な経験なのです。その過程において、人は多くの葛藤や自らの弱さに直面し、自分自身との厳しい対話を余儀なくされます。その道行きで、はからずも自分自身が変容し、もう二度と元の自分に戻れないことに気づかされる。この変貌こそが、その人の人生に新たな輪郭を描くのです。
とはいえ、受験という目標はその人の人生を熱く燃やすための薪のような存在であり、決して人生そのものの目的ではありません。ところが、学校や予備校はもちろん、家庭においても、この事実が強調されることはほぼありません。
だからこそ、受験という目標を追求する一方で、「受験は人生そのものではない」と俯瞰的に捉えるクレバーさが求められます。この視点を欠くと、目標という巧妙な「罠」に陥ることになります。
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