「選挙の神様」か? 「信条度外視の選挙屋」か? 藤川晋之助氏の急逝で噴出する"毀誉褒貶"の真実
藤川氏の存在感を一気に高めた昨夏の都知事選以降、各種選挙で党派を超えての選挙戦術の指南を受けた与野党議員は、逝去の報道を受けて、こぞってX(旧ツイッター)などに追悼の言葉を書き込んだ。
なかでも、都知事選で藤川氏が選対事務局長を務めた政治団体「再生の道」の石丸伸二代表(元・安芸高田市長)は、「まだLINEがふと届きそうな気がします。都知事選を振り返って『楽しかった』と言っていただいたのが一番うれしい言葉でした」などと急逝を惜しんだ。
また、親交のあった藤川氏のアドバイスも踏まえて衆院選で大躍進した国民民主党の玉木雄一郎代表は、「あまりにも早すぎるお別れに言葉もありません」と投稿。日本維新の会の梅村みずほ参院議員も、「熱く日本の未来を語り、政治家を叱り信じ諭し、導いてくださった藤川さんのご冥福を心からお祈り申し上げます」とつづった。
「藤川流・選挙指南」に元同僚らは違和感
ただ、賛辞が相次ぐ一方で、藤川氏の極めて保守的な思想信条を踏まえた特異な経歴や、政界進出を断念した挫折など、“過去”を知る元上司や元同僚からは厳しい指摘も聞こえてくる。
「SNSという新たな“武器”を見いだしたことは評価するが、特定の人物の資金提供に頼り、思想信条を度外視した手当たり次第ともみえる選挙指南には違和感を拭えない」(元同僚)
藤川氏の「来し方」を振り返ってみると、1953年に大阪市で生まれ、高校時代から民族派学生運動に関わってきた。自民党・田中派(当時)の山本幸雄元自治相の秘書となり、12年務めた後、自民党から大阪市議に当選し、政治改革を掲げて同党を離党した小沢一郎氏が結党した新生党に合流。しかし、市議2期目の途中で出馬した衆院選や三重県名張市長選で落選し、政治家の道を断念したとされる。
藤川氏はその後について「投資や事業の失敗もあって、借金が1億8000万円あった。ひと儲けしようと東南アジアを放浪して、インドネシアのアチェ紛争に巻き込まれそうになったので帰国した」(関係者)と、不遇の時期を振り返っていたという。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら