日照と高密度化、居住性の追求。行き着いたのが「逆Y字」の高層住宅だった。
まず「日照」については、団地では基本的に「4時間日照」の確保が求められている。その実現には住棟の間隔や方角が関係する。
当時は住棟を「東西軸」で平行に配置するのが一般的だった。しかし、東西軸に配置すると、日が当たりづらい北に面する住戸ができてしまうなどの事情から、「南北軸」の配置も出てくるようになった。
南北に配置すると、午前8時から12時に日が当たる東側の部屋と午後の12時から4時まで当たる西側の部屋で分けられ、理屈のうえで4時間の日照が確保できる。そんな南北軸の配置を、大谷さんは河原町団地でさらにアレンジした。
「下の階をずらして外へとせり出したのです。そうすることで条件の悪い低層部分の日照を確保できます。隣棟間隔をある程度狭くすることができるとともに、高層化も可能になったのです。ずらしたことで内部に空間が生まれ、そこをコミュニティの一つの核として捉えていました」(河野さん)

階段状に迫り出すことで、求められた日照を確保でき、住棟間隔を狭められるため高密度化も実現。住棟の高層化にもつながった。またこの「逆Y」の形は、味気ない団地の景色に表情を与えている。そして内部にはダイナミックな空間ができたのである。
建物に内包した「広場」
そんな河原町高層住宅団地には、大谷さんが1961年に発表した「麹町計画」の考えが根底にあった。
「大谷先生は、都市計画を“個としての建築の集合体”と捉え、住民の目線に立った街づくりを大切にしていました。集合住宅を町とし、町には人が集まり交流できる場を置く考えを持っていたのです。さまざまな人が集まって安心して暮らすには、良好な関係を築くことを支える共有空間が必要ということです。これは先生が麹町計画から追求されていたことで、その大型版がこの河原町の団地なのです」(河野さん)

無料会員登録はこちら
ログインはこちら