
100年に一度といわれる大規模再開発が進み、駅構内から周辺までが様変わりした東京・渋谷。多くの人々が行き交うこの地が、かつて大量の花粉に包まれていたことをご存知だろうか。
渋谷周辺を包んだ「将来の敵」ブタクサ花粉
第2次世界大戦が間近に迫っていた1938年のこと。菌類の研究者で東京科学博物館(現:国立科学博物館) に勤務していた今関六也は、同博物館の広報誌『自然科学と博物館』に「花粉熱」と題した記事を寄せ、北米でのブタクサ花粉症の広がりを紹介した(※1)。
1850年代に北米から日本に上陸したとされるブタクサは、すでに国内での生息地を広げていた。移入から90年近くを経ていた当時のブタクサの繁殖ぶりについて、今関はこう記している。
「大分前から東京の渋谷方面にはびこった。前の東京帝大農学部、所謂駒場〔筆者注:現在の目黒区駒場。渋谷からほど近い〕の大学構内では一面ブタクサ畑の観を呈する迄に至り、その中を通る人は黄色の花粉が服について困ったものだった」
これはまるで、現代のスギ花粉の飛散風景のようだ。
医療人類学者であり、自身もアレルギー患者であるテリーサ・マクフェイル氏の著書『アレルギー:私たちの体は世界の激変についていけない』によれば、花粉症(夏季カタル、枯草熱)は19世紀の英国で初めて記載され、欧米で人々を大いに苦しめるようになった。その後、日本でも研究が進められていたものの、国内での発生はごく稀なこととされていた。
今関は「この不愉快な病気は日本では余り起らないらしい」と述べつつも、読者にこう警告している。
「やがて我々がブタクサの繁殖力に又その花粉の毒に悩まされ是を敵として戦はねばならぬ日が来ないとは誰が保障しやう」。
「現在の敵ではないが将来の敵と云ふことができるかもしれない」。
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