廣瀬さんは、東京都でサラリーマンの父親と、専業主婦の母親のもとに生まれました。両親は芸術関係の仕事とは無縁ではあったものの、廣瀬さん自身は運動が苦手だったことから、幼少期から外には出ず、家でずっと絵を描いていたそうです。
「子どものころは夕方になると放送されていたアニメが好きでした。録画したアニメを止めて、紙をモニターに透かして絵を描くという遊びを自分で思いついて、よくやっていました」
幼児教室の習い事に通ったり、小学生のときはピアノや水泳などの習い事をしたりしていた廣瀬さんは勉強の成績もよく、地元の学校が荒れていると聞いたことから中学受験を決意し、小学5年生から日能研に通いはじめます。
第1志望だった桜蔭は不合格に終わる
中学受験では、日本一東大合格者を輩出する女子校・桜蔭中学校を目指して勉強を重ねた廣瀬さんでしたが、残念ながら不合格。それでも、毎年20~30人程度が東京大学に進学する全国屈指の進学校、豊島岡女子学園中学校に合格し、入学しました。
しかし、第1志望に合格できなかったことで、自分の存在を否定されたかのような気持ちになり、彼女は自身を大きく失いました。
豊島岡女子学園中学校に入った廣瀬さんは、一時は化学部に入ろうと考えましたが、仲良くなった友達がオタクだったこともあり漫画研究部(現:漫画イラスト部)に入ります。そこで知り合った、同じ趣味を持つ仲間との日々を通じて、幼少期から好きだった絵がもっと好きになったそうです。
「『新世紀エヴァンゲリオン』や『DEATH NOTE』が好きで、そうしたリアルタッチで描かれる作品のような、リアルな絵をもっと上手に描きたいと思うようになりました。それがきっかけで中学3年生ごろに、美大に行きたいと思うようになりました。美大だったら、東京藝大を目指そうかなと漠然と考えはじめたのです」
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