前大統領の「電撃逮捕」で大荒れ必至のフィリピン 麻薬撲滅戦争の罪、マルコス大統領の真意は

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マルコス大統領は昨年まではICCの捜査には協力しないと明言していたが、両陣営の対立が深まる中の2024年11月、ベルサミン官房長官が「ICCがICPOを通じて逮捕を請求した場合、フィリピンの司法当局は協力する義務がする」と軌道修正し、今回、実行に移した。

これに対し前政権で大統領報道官だったハリー・ロケ弁護士は「偽情報だ。ICPOの要請は国際逮捕状ではない。加盟国はそれぞれの法律によって逮捕するかどうかを決定する」と反発している。

ドゥテルテ氏は2025年3月9日に香港で催された政治集会にサラ氏らとともに出席し、出稼ぎ労働者ら約1600人の熱烈な歓迎を受けた。麻薬戦争について「自分のためではなく、国家と子どものためにやった」と主張し、「逮捕されるなら仕方ない。これが私の運命だ」と語った。

そのまま父娘で国外逃亡するのではないかとの観測もあったが、3月11日午前、マニラのニノイ・アキノ国際空港に降り立ち、配備されていた国家警察の警官隊に連行された。同氏の次女ヴェロニカ氏は「逮捕状も示されない違法な拘束」とする怒りのメッセージをSNSに投稿した。

ドゥテルテ氏の弁護士がただちに逮捕の差し止めを求める訴えを最高裁に提起したが、その審理も待たずに政府は手際よくチャーター機を用意した。

ドゥテルテ政権下の違法薬物対策では、政府発表で6000人超、人権団体などは3万人もが殺されたとしている。多くは警官らがその場で射殺した超法規的殺人で、ドゥテルテ氏らが指示をしたとしてICCが2018年から捜査に着手していた。ドゥテルテ氏は捜査に反発し、フィリピン政府は2019年にICCから脱退した。

短かった蜜月とその後の罵り合い

政治的な側面を振り返ると、マルコス・ドゥテルテ両家の接近は2016年、ドゥテルテ氏が現大統領の父(シニア)の遺体をマニラ首都圏の英雄墓地に埋葬することを認めたことで始まった。

シニアは20年余にわたり独裁体制を敷いた後の1986年に政変で国を追われ、1989年に亡命先のアメリカ・ハワイ州で客死した。遺体はその後、故郷の北イロコス州に運ばれた。

マルコス家は英雄墓地への埋葬を望んだが、戒厳令下で拷問などの人権侵害にあった被害者らが反対し、歴代政権は認めてこなかった。ところが、ドゥテルテ氏は大統領に就任直後に埋葬を認めた。

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