「バター不足」がベルリンの壁建設の理由だった 国民不満を封じ込めても守りたかった社会主義のメンツ
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ベルリンの壁が崩壊したのはまだ記憶に新しい。1989年11月9日の晩、東ドイツ政府の混乱により東西ベルリンを隔てていた壁は突如としてその機能を失う。そして、その夜のうちに壁を憎む市民による自然発生的な取り壊しが始まった。
しかし、そんなベルリンの壁がどうして建設されたのか、その経緯はあまり知られていない。1961年8月13日に突然、東西ベルリンの交通は封鎖され、追って壁の建設が始まったこと、その目的は東ドイツ国民の西側脱出防止といった程度である。
1989年に崩壊、でもなぜ壁はつくられたのか
なぜ東ドイツは1961年に建設を決心したのだろうか。
その1つの契機は、バター危機である。東ドイツは深刻なバター不足問題を抱えていた。そして1960年には唯一残されたマーガリンによる問題解決策も破綻した。それが「国民の国外流出は止められない」との政府の絶望に繋がり壁建設に至ったのである。
ベルリンの壁建設はバター危機の結果ではないだろうか。なぜなら、それにより建設を決心した説明がつくからである。バターは東ドイツ国民の不満の象徴であり、アメリカによる体制攻撃の手段であった。
そして、マーガリンにより問題を改善する見込が立たなくなった結果、ついに壁建設に至った。そう考えられるからである。
その理由の第1は、バター不足による東ドイツの国民不満である。当局からすれば西側逃亡を引き起こす要因だ。その点で壁建設を検討させる要素となった。
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