語学学習は「勉強というよりスポーツ」の納得理由 反復練習を通してしか身につかない感覚がある
そしてこの直感は、それまで何万、あるいは何億通りもの棋譜を繰り返し叩き込んできたところから出てくるものなのです。
これって熟練したスポーツ選手の体が勝手に、けれども正確に動くのと同じことですよね。
さて、それでは言語はどうでしょうか? 言語の場合もやはり、「日本人ならなんとなくわかる、日本語の直感」ってありますよね。たとえば日本語なら「わたしは」と「わたしが」の使い分け。
「この言い方なら『は』が自然で『が』は不自然」というような判断は、日本語ネイティブの我々なら簡単にできます。けれどもなぜそう判断できるのかと問われたら、答えに困りますよね。
この直感は、これまで私たちが経験してきたあらゆる種類の日本語のパターンが抽象化されてできあがったものなのです。言語学ではこれを「暗黙知」と呼びます。
外国語を話す時にも正確な文法を思い出したり考えたりする暇はほとんどありません。「よくわからないけど、こういうふうに言うのが自然だよね」という直感が必要なのです。
正しいフォームを知らずに反復練習をしてもダメ
では、学校でやってきた文法学習は無駄だったのか―? いえ、そんなことはありません。
「理屈じゃなくて直感が大事!だから文法の勉強は無駄!」
「とにかく言葉のシャワーを浴びて慣れるしかない。赤ちゃんはみんなそうやって言語を身につけるんだから!」
という主張を聞いたことがある人もいるかもしれませんが、これは100%間違いです。
正しいフォームを知らずに何万回反復練習をしても、何も身につきません。
赤ちゃんと大人は脳の神経構造も違っているため、ただ闇雲に言語を浴びても、それを習得することはできないのです。
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