ロシアの広い国土が「弱さ」の裏返しと言える根拠 西側と政治的に隔てられていても繋がっている

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ロシアは平坦な地形に国の命運を左右されてきました。ロシアの始まりは9世紀から13世紀にかけて、今のウクライナからロシアの辺りにあったキエフ・ルーシという国です。この国は一時ヨーロッパ最大の版図を誇るほど栄えましたが、13世紀にモンゴル帝国の侵攻を受けて滅びました。モンゴル帝国が5300キロ離れたキエフを攻撃できた理由は、ユーラシア大陸を貫く広大な平野にありました。モンゴル軍の騎馬部隊は、この天然の高速道路を遥々縦断してきたのです。

国をなくしたロシア人たちは、北の森林地帯に逃げ込みました。ここも平地で安全ではないにしても、辛うじてモンゴル軍との直接的な戦闘は避けられました。モンゴル軍の武器である馬と弓は、森の中では木に引っかかって使えなかったからです。

モンゴル帝国の支配を抜け出し、東へ

こうしてロシア人たちは現在のモスクワ辺りに落ち着いて、200年にわたってモンゴル帝国に服従することとなりました。しかし、ロシア人たちはこの支配体制の下で徐々に勢力を増していき、1480年には服従を正式に拒否。ようやくモンゴル帝国の支配を抜け出したのです。

モンゴル帝国の支配を破ったロシア人たちは、今度は東へ急速に領土を拡張していきました。元々ウラル山脈の東側には人が多く住んでいなかった上に、銃を得たロシア人とコサック(ロシア辺境地の戦士集団)は、先住民の抵抗に見舞われても比較的容易に制圧することができました。

こうしてロシアの領土は、1700年までにユーラシア大陸の東端に到達。すでにこの頃には、世界最大の面積を誇っていました。しかし、これほど広い領土を獲得してもロシアは依然として地理の呪いからは解放されませんでした。その原因は、西にありました。ロシアの西は依然として開放されていて、西の敵勢力から守ってくれる自然的障壁が何もなかったからです。

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