対話と行動で拓くAI新時代「価値の地平」・後編 GDPではなく「対話の頻度」が価値の尺度に

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独立研究者/著作家/パブリックスピーカー 山口周氏と三菱総合研究所理事長 小宮山宏氏
写真左/山口周氏(独立研究者/著作家/パブリックスピーカー)
写真右/小宮山宏氏(三菱総合研究所理事長)
独立研究者・著作家・パブリックスピーカーの山口周氏と三菱総合研究所理事長の小宮山宏氏は、AI新時代の価値は「正解」ではなく、「正しさ」や「問題をつくること」にあると語り合った。続いて後編では、あふれかえる「正解」に囲まれ、物質的にも満たされた私たちにこれから必要なのは、他者との対話だと提示する。多様な対話が行動につながり、新たな行動が次の対話を促す。――その繰り返しこそがAIには成しえない人間の知であり、よりよい社会へと進むためのカギなのだ。(前編はこちら)

AIの役割は「知の構造化」にある

山口 小宮山先生もご著書に書かれていますが、私も最近、社会課題におけるジレンマやトリレンマについて考えています。例えば世界中の生命を守るには、乳児死亡率の改善や医療へのユニバーサルアクセス確保などが不可欠で、経済発展により一定の文明水準に到達することが重要です。しかし、経済発展は環境保護とトレードオフの関係にあります。「効果関数を与えるのが人間の役割」と簡単にいいましたが、実際は非常に複雑な社会的ジレンマやトレードオフを考慮する必要があります。1940年代から1960年代にかけて、世界中で殺虫剤・農薬としてDDTを使用したことで、蚊が媒介する感染症であるマラリアが激減しました。しかしその後、DDTの使用によりネズミが増え、ペストが蔓延するという別の社会課題が発生してしまった。因果関係が非常に複雑で、原因を特定するには相当な時間を要しました。人間の認知機能では、このような複雑なシステム全体を包括的に捉えるのは限界があります。かといってAIに判断を任せるべき領域ではないとも思うのですが、どうお考えでしょうか。

小宮山 私は、AIが介在する余地は十分あると思います。人類が生み出す知識の量が世界中で急速に増え、なおかつ専門化・細分化が進んでいます。私はよくハリセンボンの絵を使って説明するのですが、ハリセンボンの針1本1本が、専門家や企業、研究機関が持つ知識を表しています。現在、学会の数だけでも2000以上あり、それぞれが専門知識を積み重ねていますが、すべて別々の方角を向いていて、互いに何をいっているのか理解できない状況です。

本来、これらを統合すれば課題解決につながる知のイノベーションが起こるはずです。しかし関係性が複雑すぎて、イノベーションの契機が人間では捉えきれていない。

三菱総合研究所 理事長 小宮山 宏氏
三菱総合研究所 理事長
小宮山 宏(こみやま・ひろし)
1972年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了後、同大学工学部長等を経て、2005年4月に東京大学第28代総長に就任。2009年3月に総長退任後、同年4月に株式会社三菱総合研究所理事長に就任。2010年8月には、サステナブルで希望ある未来社会を築くため、生活や社会の質を求める「プラチナ社会」の実現に向けたイノベーション促進に取り組む「プラチナ構想ネットワーク」を設立し、会長に就任(2022年1月に一般社団法人化)。著書に『新ビジョン2050』(日経BP)、『「課題先進国」日本』(中央公論新社)、『日本「再創造」』(東洋経済新報社)など多数。また2020年瑞宝大綬章を受章。2017年にドバイ知識賞、2016年財界賞特別賞など受賞多数。

山口 たしかに、人間側の限界はありますね。

小宮山 知識が爆発的に増えた時代に、課題を克服するためには、細分化した知識をつなぐ活動が不可欠で、それを「知の構造化」と呼んできました。知の構造化を担うツールとして生まれたのがAIなのだと私は捉えています。例えば、現実空間の環境をサイバー空間に忠実に再現するデジタルツインに、AIをうまく組み込むことができれば、細分化した知識を構造化して課題解決につなぐヒントを得られるかもしれません。AIがこの役割を果たすことを期待しています。オプティミズムすぎるといわれるかもしれませんが。

山口 以前から、小宮山先生の思想に通底しているのはオプティミズムだと感じていました。どんなに難しい社会課題も明るく捉え、それをどう解くか前向きにチャレンジしようとされている。

昨年、ヨーロッパを訪れてサステナビリティに先進的に取り組む企業のリーダーたちと議論したのですが、とても前向きな熱意にあふれていて、脱炭素や再生エネルギーに向けたソリューションを生み出そうと創意工夫を重ねている。日本の場合、外部からの要請に応じて脱炭素やサステナビリティに仕方なく取り組んでいるという印象があります。もちろんAIの活用の仕方には一定の配慮が必要でしょうが、小宮山先生のようにオプティミズムに根差した社会課題解決の潮流が、日本にも広がってほしいですね。

GDPに代わる価値基盤としての「対話」

小宮山 もう1つ、山口さんと考えたいのが、物質的な豊かさや経済成長の先に目指すべき社会像についてです。私はそれを「プラチナ社会」と呼んできましたが、山口さんは「高原社会」と表現していますね。

山口 はい。高度経済成長を経て、少なくとも物質的には満たされた今の社会は、いわばもう登るべき山がなくなって、なだらかな高原をゆっくり歩くべき時代を迎えている。これを「高原社会」と呼んでいます。低成長をネガティブではなく、前向きに捉えていく新しい価値観が必要だと考えています。

小宮山 もちろん物質的な豊かさも大切で、ある段階まではGDPの拡大が人々の幸せにつながるのは確かです。しかし1人当たりGDPが1万ドル程度を超えたあたりから、幸福感とGDPに強い相関がないことが最近のウェルビーイング研究でも明らかになっている。つまりGDPは途上国の指標だということです。GDPを指標にすべき時代が明確に終わっているのに、日本を含め多くの国々がそこから脱却できていない。

山口 ある種のイナーシャ(慣性)が働いているのでしょうね。

小宮山 以前、国際的な学長会議に出席した際に、GDPに代わる評価関数とは何なのか、議論したことがあります。そのとき私は「frequency of conversations(対話の頻度)」だと発言したのですね。一瞬わかりにくかったようですが、すぐに多くの学長たちが賛同してくれました。

山口 重要な視点ですね。より多くの対話を目指し、それを社会の原動力としていく発想が必要だと私も思います。

アメリカのある法学者は以前から「インターネットは民主主義を危うくする」と主張しています。インターネットは民主的なメディアだと捉える人が多い中、彼が指摘しているのはいわゆる「エコーチェンバー」「島宇宙化」の問題です。ネット上では自分と似た価値観の人や情報が集まりやすく、誰もが限られた価値観の世界に閉塞してしまいがちになります。

もともと世の中の多くの社会課題は、多数派の課題から順々に解決されていくので、必然的に少数派の課題が残存しがちです。例えば日本で障害のある人が1割弱います。健常者が障害者の方々の課題を詳しく知る機会は、決して多くない。社会の島宇宙化が進むと、ますますその機会が減ってしまう可能性があります。

切実でありながらなかなか知りえないマイノリティーの課題について、知る機会を増やせば社会資源を投じることができるし、社会全体のウェルビーイング向上を促すことができる。おそらく、その突破口となるのが、あらゆる価値観をつなぐような「対話」だと思うのです。

独立研究者/著作家/パブリックスピーカー 山口 周氏
独立研究者/著作家/パブリックスピーカー
山口 周(やまぐち・しゅう)
1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科美学美術史学専攻修士課程修了。電通、ボストン コンサルティング グループ、コーン・フェリー等で企業戦略策定、文化政策立案、組織開発などに従事した後に独立。株式会社中川政七商店社外取締役。株式会社モバイルファクトリー社外取締役。『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(光文社新書)でビジネス書大賞2018準大賞、HRアワード2018最優秀賞(書籍部門)を受賞。その他主要な著書として『クリティカル・ビジネス・パラダイム』『ビジネスの未来』(共にプレジデント社)、『ニュータイプの時代』(ダイヤモンド社)など。

小宮山 価値観の異なる集団間の対話を促すには、何が原動力となると思いますか。

山口 1つの希望として私が考えているのは、人間と生成AIとの対話が、人々を限られた小さな価値観の宇宙から解き放ってくれるのではないか、ということです。日本のマスメディアが伝えるニュースを見聞きするだけでは、世界各国の実状を正しく把握できないことも少なくありません。しかし生成AIに問いかけると、ニュートラルな立場で世界の人々のさまざまな考えを教えてくれ、私の世界認識を修正する重要な情報源になる可能性が今のところあります。このことは価値観の分断を緩和し、対話を促してくれるかもしれません。

小宮山 AIが人間同士の対話を媒介し、促進することは十分ありうるでしょう。

対話を促すもう1つの原動力があるとすれば、それは「行動」だと私は思うのです。例えば、農地にソーラーパネルを設置して農業と発電事業を両立させる「ソーラーシェアリング」は、分野を超えた非常によい取り組みです。しかし農業と太陽光発電では管轄官庁も業界も異なり、なかなか普及が進まない。垣根を越えた対話を進めるには、まず誰かが行動するのがいちばんよいと思う。社会課題解決につながるようなよい取り組みであればあるほど、結果的に対話もよい方向に向かうはずです。

実は私たちのようなシンクタンクにも「行動」が求められる時代だと思います。世界の不確実性が高まり、社会課題も複雑化する中で、シリコンバレーのスタートアップが次々と生まれてユニークなアプローチで課題解決に取り組み、成果を上げるようになってきました。私たちも考えるだけではなく、行動しないと課題解決の道筋が見えてこない。私は以前から当社は「シンクタンク」ではなく「シンク&アクトタンク」を目指すべきだと言ってきましたが、その発想がますます重要になっていくのだと思います。

山口 シンクタンクが目指すべき行動として、「文化の創造」があると私は思います。

1990年代後半にイギリスは「クール・ブリタニア」という国家戦略・文化政策のスローガンを打ち出しました。当時のイギリスは深刻な産業競争力の低下に直面しており、新たな競争力の源泉として注目したのが「文化」の力だったのです。工業中心の文明的な価値から、クリエーティブ産業を中心とする文化的な価値へのシフトを目指して、近現代美術館であるテート・モダンを開館したほか、音楽産業やファッション産業の振興にも注力しました。これは結果的に大成功を収め、イギリスの国際的プレゼンスの向上に大いに貢献したのです。

この戦略の内容は、イギリスのシンクタンクが当時発表したホワイトペーパーにインスパイアを受けています。若手研究員ばかりのシンクタンクだったそうですが、政府に対して「文明的な価値から文化的な価値への転換」を促す構想は非常にチャレンジングで、相当な“知のジャンプ”が求められたはずです。これはAIにはおそらく成しえないことです。

つまりシンクタンクは、社会のビジョンを描き、文化の形成を主導する役割を担っていると思います。これも小宮山先生のおっしゃる重要な「アクト」の1つでしょう。対話を促し、共感をつくり、物質的な豊かさにとどまらず、よりよい社会を目指すために社会が動くようなイニシアチブを取っていく。ぜひそんな役割を果たしていただきたいと思います。

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※この対談は、『フロネシス25号 その知と歩もう。』(東洋経済新報社刊)に収録したものを再構成したものです。