医療・介護制度改革のカギは「データ共有」にあり データ利活用で実現する社会像を具体的に描く
持続性が危ぶまれる日本の医療・介護制度
日本では少子高齢化が進み、年金や医療費、介護費などの社会保障給付費が増え続けていることは、誰もがご存じでしょう。2040年ごろには65歳以上の高齢者人口がピークに達することが予測されています。一方で現役世代の人口が急速に減少していくため、現役世代が高齢者を支えることを前提としたこれまでの社会保障制度を今後も維持していくことは非常に厳しいといえます。
中でも持続性が危ぶまれるのが医療・介護制度です。社会保障のうち最も財政規模が大きい年金制度には、将来の現役世代の負担が過重とならないよう、経済情勢に応じて給付額を調整する仕組みがありますが、医療・介護制度にはそうした仕組みがありません。医療・介護給付費は今後も増え続け、2040年には約83兆円と、2020年の約54兆円の1.5倍に増大するとMRIでは推計しています(図1)。この財源をどう確保するのかという問題に加えて、医療・介護サービス提供を担う人材の不足もいっそう深刻化していくと考えられます。
医療・介護制度の改革案と「都道府県」の役割・機能
医療・介護分野の「2040年問題」を乗り越えるには、今すぐ制度改革に取り組まなければなりません。時間的猶予はありませんが、デジタル技術の進展によって医療・介護の現場の情報連携が進み、患者・利用者に効率的・効果的なサービスが提供される環境が整いつつある今が、改革の好機だといえるでしょう。
新たな医療・介護制度に求められるのは「自律的な医療介護システム」です。これは、非効率的なサービス提供や給付を見直すことで医療・介護現場の生産性を高めながら、自己負担の仕組みを変更して現役世代の負担軽減を図り、給付費を公債(借金)で賄ってきた状況からの脱却を目指すものです。これによって、受益者(患者・介護サービス利用者を含む国民全員)、提供者(医療機関・介護事業者および医療介護従事者)、財政運営主体(国・地方自治体)が「三方よし」となる構造への転換を図ります。
その実現の軸となるのが、以下の3つの制度改革です。
地域のニーズを踏まえた入院・外来医療の機能分化を徹底するとともに、介護事業所の大規模化・協働化による効率化・生産性向上を目指します。
従来は入院が必要だった一部の手術を外来医療でも提供するなど、患者の利便性向上と給付費抑制の両立を図ります。
年齢ではなく、資産や所得などの負担能力に応じた自己負担(応能負担)の仕組みを導入します。
MRIでは、これらの制度改革により、2040年には約7.4兆円の給付費抑制効果が得られると試算しています。
また、制度改革の実効性を高めることも重要です。そのカギは「都道府県によるガバナンスの強化」です。都道府県は医療・介護サービスの提供体制面で重要な役割を果たし、国民健康保険(国保)の保険者※1として財政運営の責任も負っているからです。
制度改革を目指しても、民間中心の医療機関や介護事業所に国が「全体最適」を求めるのは困難です。また日本の医療は、フリーアクセスかつ自己負担が比較的少ないため、サービス利用者である国民の行動を国がコントロールすることも容易ではありません。
ですから住民やサービス提供者との関わりが深い都道府県が、その役割・機能を十分に発揮できる仕組みが、医療機関・介護事業所や国民に対するガバナンスの強化につながるとMRIは考えます。それには都道府県が権限を確実に行使できるよう、法制上の責務を明確化する必要があります。また、提供体制の効率化などの成果を上げた都道府県に財政面でのインセンティブを与える仕組みも有用だと考えています。
医療・介護DXの重要性と医療・介護データの共有
都道府県によるガバナンス強化は重要ですが、都道府県に過度な負荷となれば、その仕組みは持続的ではありません。都道府県の業務は多岐にわたり、職員の業務負荷は重く、施策を実行するためのリソースがつねに不足しています。
そんな中で都道府県が施策を推進し、医療・介護制度改革を進める際に重要なのが、医療・介護DXです。具体的にはデジタル技術を使って医療・介護データの共有と利活用を進め、業務効率化や医療・介護サービスの質の向上を図ることです。これは都道府県だけではなく、医療機関や介護事業者、そして国民にも大きなメリットがあります。
現在、政府は公的データベース※2などから構成される「全国医療情報プラットフォーム」の構築を進めています。これが完成すれば、電子カルテや健診情報、要介護認定情報などの医療・介護情報を関係者間で共有して、質の高い医療・介護サービスを提供することが可能になります。また、重複する検査や投薬を避けることができ、医療費抑制につながることも期待できます。一人ひとりが自身の健康管理にデータを活用することもできるはずです。
データ共有の実現を阻む障壁とその乗り越え方
医療・介護分野では、カルテは医療機関が、健康診断結果は保険者が、予防接種の記録は自治体が、レセプトデータ(診療報酬明細書)は国が、それぞれ保有しています。このようなデータの散在により、データの共有と利活用は妨げられてきました。その結果、病院を替えるたびに同じような検査を受けたり、毎回の処方で禁忌事項を確認したりするなどの無駄が生じています。
データ共有が日本で実現してこなかった原因として、いくつかの「障壁」が考えられます。ここでは「診療報酬制度」「プライバシーとセキュリティ」の2つを挙げておきます。
第1に、現在の診療報酬制度が、医療行為ごとに診療報酬を設定し、患者に対して実際に行った医療行為の合計額を医療の値段とする「出来高払い」を基本としていることです。この制度では、医療機関は診察や検査などを行うほど多くの報酬が得られるので、他機関との重複検査などを避けようとは考えにくくなります。第2に「プライバシーとセキュリティ」の問題です。データ共有には事前の本人同意が必要ですが、個人情報保護法の定める同意手続きには手間やコストがかかります。患者側の不安感などから同意が得られずに共有が進まないこともあるのが現実です。
課題を解決する方策として、診療報酬制度には「包括払い」の適用範囲を拡大することを提案します。一つひとつの医療行為ではなく、一連の医療サービスをひとくくりにして診療報酬を設定するのが包括払いです。日本では2003年から急性期入院医療を対象に、診断群分類(DPC)に応じて1日当たりの医療報酬を包括化するDPC制度(DPC/PDPS)が導入され、過度の入院や薬剤投与の抑制に一定の効果を上げています。こうした包括払いの適用範囲を拡大することで、医療機関には検査の効率化により費用抑制というインセンティブが生じ、医療の質を落とすことなく他医療機関のデータ利活用が進むでしょう。
プライバシー・セキュリティの課題解決には、安心してデータを共有できるルールの構築が必要となります。例えば診療のためにほかの医療機関にある本人の医療データを利用する場合には、原則同意不要とすることも考えられます。目的や対象を絞り、不正利用時の罰則規定などを整備することで患者の不安を払拭するとともに、生涯にわたる履歴データの共有で医療や介護の質が向上するなどのメリットを個人が実感できることが重要です。
民間企業や自治体によるデータの二次利用
医療・介護データの共有を進めるためには、どのようなメリットが社会にもたらされるのかを具体的に示すことも必要です。例えば図2は「全国医療情報プラットフォーム」のデータ利活用で実現する社会を示しています。
このような形で制度変更のメリットが予見可能となることで、民間企業や患者・利用者を含む関係者の主体的な関与・協力が得られ、スムーズな移行が可能となります。
そのために重要なのが、医療・介護データの二次利用です。これは収集された医療情報などのデータを、大学などの研究機関が基礎研究に、製薬会社が医薬品の開発に、自治体が医療・介護施策の検討や評価にと、さまざまに活用することをいいます。カギとなるものの1つが民間企業によるデータの二次利用で、とくに健康増進や予防医療など、公的保険外のヘルスケア市場で、新たな製品・サービスの開発が期待されます。
先駆的な事例として、「弘前大学COI -NEXT」があります。市民の協力を得て3000項目に及ぶ健診データなどを2005年から蓄積し、市民の病気の予兆や予防などの健康増進に役立てながら、健診データを産官学民で活用する仕組みを整え、製薬会社や食品会社などが製品開発に活用しています。取得した良質で大量のデータを、多数の企業が利用できる仕組みを整えたことがポイントです。
もう1つのカギとして、自治体による公的データベースの二次利用を挙げることができます。データを自治体の施策検討や評価に用いることは、エビデンスに基づく効果的な施策の実施、すなわちEBPM(証拠に基づく政策立案)の推進につながることが期待されます。例えば、自治体が実施する医療・介護分野の施策や保健事業が、住民の健康状態の改善や医療費などの適正化にどの程度効果があったかを定量的に検証することで、重点的に資源を投入すべき効果的な施策が明確になります。データを施策の検討・評価に用いるためには、データの収集率が高く、網羅性が担保されていることが理想です。
「データ入力作業が最終的に現場にベネフィットをもたらす」ことが実感されれば、収集率は向上するでしょう。将来的なアイデアの1つとして、介護事業所・施設が保有するケア(医療・介護におけるサービスの具体的な行動)の情報と、国が収集している利用者の要介護度やADL(日常生活動作)などの「状態像」に関する情報を組み合わせて分析し、利用者により適したケアを特定して現場にフィードバックする、といったことが考えられます。
医療・介護制度などの社会保障制度は、すべての国民の安心で健康的な暮らしを支えるためのセーフティーネットであり、人生100年時代を生きる私たちにとってなくてはならない基盤です。将来の世代にもその恩恵をつないでいくために、今を生きる私たちが制度の持続性を高める努力をしていくことが重要です。そのための議論を国民全員で深めていくうえで、MRIもその輪に積極的に参加し、私たちの社会保障制度をよりよい形に変えていきたいと考えています。
三菱総合研究所 政策・経済センター 主席研究員
1997年三菱総合研究所入社。情報通信分野の競争政策や料金政策などの政策立案支援、ブロードバンドやモバイルの事業戦略コンサルティングなどに従事。現在は研究提言チーフとして情報通信分野の自主研究や大学などとの共同研究、政策提言の取りまとめを担当。
三菱総合研究所 政策・経済センター 主任研究員
2009年三菱総合研究所入社。研究提言チーフとしてヘルスケア分野の研究の取りまとめを担当。公衆衛生学の知見を活かし、ヘルスケアシステムや予防・健康づくりの社会実装を支援。皆が健康で豊かに暮らせるような社会の実現を目指す。博士(獣医学)。
三菱総合研究所 医療・介護DX本部 研究員
2020年三菱総合研究所入社。医療保険、介護保険および障害福祉分野を中心に、EBPMの実現・推進の支援を担当。また医療・介護DXの推進を支援している。2023年より政策・経済センター VCP政策研究グループを兼務し、ヘルスケア分野の政策研究・提言にも従事。
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【提言】社会保障制度改革の中長期提言(2024年6月14日)
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※このページは、『フロネシス25号 その知と歩もう。』(東洋経済新報社刊)に収録したものを再構成したものです。