経営の未来を支える、財務戦略とリーダーシップ 富士フイルムHDのCFOが語るビジョン
経営の「神経系」を担い、戦略的意思決定をリード
近藤 近年、CFOの役割は多様化し、その重要性は飛躍的に高まっています。まず初めに、富士フイルムHDのCFOとして管掌されている領域をお聞かせください。
樋口 伝統的なCFOや経理部門としての役割に加えて、富士フイルムHD全体の「ポートフォリオマネジメント」を統括し、グループの経営管理や戦略的な意思決定をリードしています。
CFOとしての管掌範囲は、大きく4つあります。1つ目は、経営の意思決定や企業戦略などの大きな方向性を正しくガイドし、各部門の現場にカスケードダウンする(落とし込む)ことです。さらに、経営陣と各事業のマネジメント層の連携を図る調整役も担っており、いわば「神経系」のような役割です。
2つ目は、M&A・投資案件の管理とアセスメントです。会社全体の意思決定と整合性を持たせ、会社としての戦略的な方向性を定めるという重要な役割です。
3つ目は、FP&A(Financial Planning & Analysis)です。全社のファイナンシャルコントロールや資金管理を統括しています。
4つ目は、経営情報のインフラストラクチャーの構築です。売上高、営業利益、CCC(キャッシュ・コンバージョン・サイクル)、在庫、調達、グループ会社の経営状況など、マネジメントとオペレーションの改善に必要な財務情報をタイムリーにフレキシブルに活用でき、業務DX化も加速する仕組みです。
例えば当社では2022年5月から、富士フイルムグループ各社のERPのデータをクラウド上で共有化する経営情報分析システム「One-Data」を稼働させており、全体のデータ統合と情報管理を推進しています。
グローバル経験と変革プロジェクトで築いたCFOの礎
近藤 CFOの管掌範囲として、非常に広くカバーされているように思いますが、この役割を担ううえで、どのような経験が生かされていますか。
樋口 1つは全社のERP刷新プロジェクトのプロジェクトマネジャーを約4年間担当したことです。これは単なるITプロジェクトではなく、会社全体の管理方法やビジネスプロセスを変革する取り組みでした。
社内の合意形成や課題管理、経営視点での優先順位をつけるといったマネジメントの基本スキルも磨かれました。若い時期にこれを経験できたことは大きな財産であり、今も役立っていると感じます。
もう1つは、米国で2015年から約3年半、買収した超音波医療機器メーカーの社長を務めたことです。この役割はファイナンスを超えたビジネスマネジメントそのもので、製品開発からサプライチェーン、グローバル販売までマネージしていました。
グローバルの事業マネジメントと会社全体のパフォーマンスに責任を持つ立場になったことで視野が大きく広がりました。
北潟 米国での経験の中で、とくに印象的だったことはありますか。
樋口 顧客である医師と接する機会が多く、製品の評価や改善点について直接意見を伺えたことです。顧客から直接フィードバックを聞けるのは、ファイナンスやコーポレートの仕事にはなかった新鮮な喜びでした。
会社を立て直すという厳しい挑戦でしたので、最初の1、2年は本当に苦しい時期でした。ただ、その会社/事業/人をより理解することで、徐々に成果を出せるようになりました。何より事業に愛着を持つと、自然と会社も少しずつ前に進んでいくという好循環を経験できたことが、非常に大きな学びとなりました。
シナリオメイキングを基盤にキャッシュを創出する
北潟 昨今、「企業価値」が注目を集めています。その中で、企業の価値創造における、CFOの役割についてどのように考えていますか。
樋口 CFOは、中長期的な視座を持ち、ファイナンスに裏打ちされたシナリオやビジョンを構築することが重要だと考えています。単に数字をつくるだけではなく、ステークホルダーから信頼を得られるような「シナリオメイキング」が肝になります。
当社は2024年4月、中期経営計画「VISION2030」を公表しました。従来は3年ごとだったスパンを7年に変え、30年に向けたビジョンを描くという新たな挑戦をしました。
当社には17年に制定した、30年度をターゲットとするCSR計画「Sustainable Value Plan 2030」があり、その具体的な実行計画として中期経営計画を位置づけました。今回の新たな中期経営計画において、より長期的な道筋を描くことは、企業が持続的に成長するために欠かせないという経営の強い思いがあったからです。
また「VISION2030」の策定に合わせて事業セグメントの最適化を行いました。既存の事業のフェーズや特性が変化する中で、整理し、統合し、再編し、より高いパフォーマンスを引き出せることに焦点を当てたことがポイントです。
当社は複数の事業を展開しているため、一見「飛び地」であるかのように見えるかもしれませんが、実はまったくそうではありません。当社のコア技術を基に、各事業が戦略的につながっています。
そうした複数の事業を、市場の魅力度と自社の収益性の2軸で「基盤事業」「成長事業」「新規/次世代事業」「価値再構築事業」に分類しました。「価値再構築事業」と位置づけた事業に対しては、新たな戦略を策定・遂行し、「基盤事業」へのシフトを図ります。
また、バイオCDMOや半導体材料などの「新規/次世代事業」「成長事業」を中心に成長投資を実施します。
ファイナンスの観点からは、経営の意思決定をサポートすることはもとより、企業成長のための投資判断とステークホルダーへの利益分配をバランスよく進めていくことが肝要です。
利益とキャッシュ創出力がなければ事業の存続はできません。CFOとして日々シナリオの再点検を行いながら、会社の資源をいかに効果的に分配し、ステークホルダーへの価値創出を最大化できるよう助言、提案し、ファイナンシャルパフォーマンスの向上と確固たる財務基盤を築くことがCFOとして果たすべき役割であると考えています。
また、関連して、前中期経営計画からROICとCCCをKPIに導入しました。事業ポートフォリオを評価するために必要なKPIを設定することもCFOの重要な役割の1つです。現場から積み上げられた計画を土台にしながら、達成可能でありながらも挑戦的なゴールを設定し、さらにそこに向けた戦略をつくり上げる能力が求められます。
北潟 多岐にわたる事業をまとめるうえで、樋口さんが大切にされていることをお聞かせいただけますか。
樋口 ターゲット設定の過程では、各事業との間でせめぎ合いやネゴシエーションも生じます。しかし、その過程でバランスシート、キャッシュフローなども含めた総合的なファイナンシャルKPIとシナリオ・ロジックを合わせて議論し、最適なターゲットをセットしていくことが有効だと考えています。当社では、P/Lとキャッシュフロー、CCC、ROICの4つを活用しています。
経営会議をはじめさまざまな場面で繰り返しファイナンスKPIであるこの4つを必ずセットで出して説明しています。P/Lだけでは、利益という一面での議論にとどまってしまうため、キャッシュフローや投資のリターンなどを組み合わせることで、パフォーマンスを多角的に捉え柔軟な対応をしていく狙いです。
また、中長期の投資リターンを見越して事業を成長させる計画を立てられるようになり、より多様な選択肢を検討することができます。
「VISION2030」に向けてファイナンスの力を高める
近藤 「VISION2030」の推進に向けて、CFOとしてどのような取り組みを進めているのでしょうか。
樋口 「VISION2030」の推進に向けては、CFOは各事業を全体的に俯瞰する立場です。それぞれの事業をファイナンスKPIで関連づけ、なおかつ事業の再編や組織の最適化などの管理を行いながら、全体のファイナンスパフォーマンスを向上させることに注力しています。
中計の「位置づけ」も再定義しました。当社は創立90周年に当たり、「地球上の笑顔の回数を増やしていく。」というパーパスを定めました。笑顔とは当社にとっての価値であり、各事業の価値の出し方は違うけれど、価値を創出することをパーパスとして、最上位の概念として設定しています。その下にCSR計画のSustainable Value Plan、そしてその実行計画として中期経営計画を位置づけました。すべてを有機的に関連づけるよう、ロジック決めをしました。
パーパス策定の議論には私も参加しましたが、事業が多角化している中で統一した目的を持つことは非常に難しいと感じました。その中で、写真フィルム事業から発展した当社には、写真の「笑顔をつくる」という要素が根底にあると考えました。
複数の事業を結び付けるに当たり、祖業にも通じる「笑顔」というテーマを選んだことは、非常に富士フイルムらしいと感じています。
北潟 計画を策定した後にもいろいろな課題が生じると思います。その場合、課題解決や軌道修正をしていくためにどのように対応されていますか。
樋口 各事業はそれぞれ異なる性質やフェーズを持っていますし、シナリオや数字の逸脱は発生します。まずは正確に問題を特定し、それに基づいた議論の場を設けます。無駄なアジェンダを避け、的確・適切な質問をするよう留意しています。
さらにFP&Aグループとしては、データの解釈能力と、そこから見える経営の意図や狙いを明確な言葉で表現する力を強化しています。数字を正しく読み解き、ファイナンスを基盤としたアプローチによって実態をきちんと把握すると課題が見えてきますし、シナリオとのずれをつかんだうえで、あいまいではなく客観的かつ論理的な議論を行えるからです。
ダイナミックな人事異動も、人材育成に寄与
近藤 御社の大きな強みとして、社員の皆さんが自分で考えて行動する姿勢を持っていると感じています。人材育成にはどのように取り組まれていますか。
樋口 社員に対しては、自ら課題を見つけ、深く掘り下げて考え、なぜそうなのかを問い続ける力を養うよう教育しています。また、現場での育成を重視しており、その過程でもこのような指導を行う上司が多いので、自然と社員にも自主的な姿勢が育まれています。
さらに、人事異動をダイナミックに行っていることも影響していると思います。もちろん1つの事業に長く携わる社員もいますが、マネジメント層を中心に、まったく異なる事業に異動させることで、異なる事業への理解やマネジメント手法を学ぶ機会が生まれます。
当社は経営環境の厳しい変化を受けて写真フィルム事業からの転換をしていますが、その経験を根底に、業界や分野が変わっても、謙虚に学ぶことで適応できるという姿勢が社員に根付いています。そして、各自の経験を持ち寄りながら、事業をどう改善するかを考える力が養われています。
異なる性質を持つ複数の事業を安定した形で運営できるのも、この柔軟な姿勢のおかげであり当社の強みだと思います。
一方で、ファイナンスに関するリテラシーはもっと伸ばしていきたいと考えています。ファイナンスは武器になりえますし、数字で語れるということは最大の強みであり応用範囲が広いです。とくにマネジメントレベルでは、事業とファイナンス両方の経験が必要になるので、今後双方の経験を積めるよう進めていきたいです。
3つのポイントで、ステークホルダーと信頼を構築
北潟 多様な事業をグローバルに展開する会社のCFOとして、ステークホルダーの期待にどのように応えることが重要だとお考えでしょうか。
樋口 近年はとくに、持続可能な経営やESG(環境・社会・ガバナンス)への取り組みが重視されるようになりましたし、ステークホルダーの期待は多様化しています。環境問題や人権問題といった、絶対に満たさなければならないものも多く含まれています。
これらを満たし、新たな期待に応えるためにも、利益・キャッシュの創出が基本であると考えています。多様な期待に応えるためのキャッシュの分配やその優先順位を考え、助言していくことが重要です。
近藤 最後に、樋口さんがCFOとして大事にされていることをお聞かせください。
樋口 私が大切にしているのは、「Transparency(透明性)、Visibility(見える化)、Accountability(説明責任)」の3つをつねにクリアに保つことです。これにより信頼が生まれると考えています。この点については、私自身が自戒の念を込めて意識しているだけでなく、部下やほかの部門にも強く求めています。
また、ファイナンスに裏打ちされたシナリオを持つことが重要だと考えています。そしていつもわかりやすく、誠意を持って説明する。説明がうまく伝わらないと感じたときには、本当に自分自身が理解しているのかを問い直し、自省します。この姿勢で、すべてのステークホルダーに接するようにしています。
近藤 時代やビジネス環境に合わせて、自社の強みを捉えながら企業の変革を進めていく中でCFOとしての役割や取り組みについてお伺いしました。
事業の戦略や成熟度を的確に捉え、さまざまなステークホルダーからの期待を踏まえてリソースをアロケーションしていくことがCFOの重要な役割となりますが、まさにマネジメントの一員として経営の舵取りをしているのだと改めて認識しました。本日はありがとうございました。