「AI創薬」:アステラス×エヌビディアの勝算 「賢いリスクテイク」なくしては世界と戦えない
30年以上前から製薬業界では、AIの前身となる情報科学技術を使った創薬が進められており、同社も例外ではなかった。本格的なAI創薬に6年ほど前から着手し、昨年には米半導体大手エヌビディア製の最新のスーパーコンピューターの活用を開始。早速成果も出ているようだ。この取り組みについて、同社の研究部門を統括する志鷹義嗣氏、そのデータアナリティクスやDXを担うグループをリードする角山和久氏に聞いた。
新たな治療手段を研究開発するため、AI活用とDXを推進
——お二方の担当領域や、現在の医薬品業界のトレンドについて教えてください。
志鷹 私は研究担当のCScO(Chief Scientific Officer)として、医薬品候補の創出の責任者を務めています。私の傘下には、日本、米国、英国の3拠点に約1000人の研究員がいて、半数は海外のメンバーです。
医薬品業界では現在、風邪薬などの飲み薬でも身近な低分子医薬(※1)だけではなく、抗体医薬(※2)、遺伝子治療(※3)、細胞医療(※4)などの革新的なモダリティ(治療手段)への期待が高まっています。
アステラス製薬は、従来の「疾患」「バイオロジー」に「モダリティ/テクノロジー」を加えた多面的な視点で創薬のアイデアを検討し、つねにその3つの組み合わせの科学的妥当性を考えるという「Focus Area アプローチ」で創薬研究を推進しています。
近年、私たちは研究や開発・製造においてグローバルでAI活用やDX推進を図るため、データの整備を意欲的に進めています。
角山 私は今年に新設された、DXに特化した「デジタルX」という組織に所属しています。その中でも、研究部門のトランスフォーメーション(変革)を行う部隊「リサーチX」のヘッドを務めています。
私は生物が持つ膨大な情報を計算機で解析して生命現象を研究する、バイオインフォマティクスが専門分野だったのですが、当社に研究者として入社したのは25年前。今でこそ分子生物学的なデータが爆発的に増え、それを活用する研究が当たり前の時代ですが、当時は違いました。
配属された研究所では、私のように実験をせず、計算機だけを扱うような研究者を採用するのは初めてだったようです。
(※2)抗体を利用した医薬品のこと。人間は、身体に異物が入ると、異物と結合し、無毒化する免疫機能を持つ。抗体医薬品とはこの仕組みを利用したもの
(※3)細胞に何らかの遺伝子操作を施して治療を行うもの
2019年時点で「AI創薬」の成功体験も
——貴社がAIの活用を始めたのはいつ頃なのでしょうか。
角山 私が入社する前から低分子の活性をコンピューターで解析する「ケモインフォマティクス」のグループがあり、私のようなバックグラウンドを持つ研究者もいました。いつ、というのも難しいのですが、長年をかけてAI活用の土台はできたのだと思います。2つのインフォマティクスを合わせた部門としての活動は7年ほど前からでしょうか。
志鷹 AI創薬の実績でいえば2019年のプロジェクトが最初です。低分子薬のデザインをAIに任せてみたところ、熟練の化学者の考えとは異なるデザインを推奨したのです。化学者がそのうちのいくつかを選択し、ロボットに合成させました。結果として、通常より70%ほど短い時間で、目標とするプロファイルを有する化合物を創出し、1つ成功体験ができました。
——研究技術の進歩もAI活用の広がりと関係しているのでしょうか。
志鷹 はい。今は解析技術が進化していて、例えばがん細胞を解析すると、細胞1つにつき数千種類のmRNA(タンパク質の設計図になるもの)が、短時間で測れるようになっています。仮に1000個の細胞の、それぞれ3000あるmRNAを測るとしたら、膨大なデータ量になりますよね。
これまでのように人が手作業でリストアップして分析して……という手段では不可能です。集まったデータをいかに統合的に解析し、創薬仮説を導き出すかが肝心なので、AIの活用なくしては研究が成り立たないですね。
三井物産子会社のゼウレカが提供する
「Tokyo-1」に参加
——2023年12月には、三井物産の子会社であるゼウレカが開始したスーパーコンピューターの活用を軸とした「Tokyo-1(トウキョウワン)」に参加されました。エヌビディアのGPUを搭載したシステムによって、AI創薬に必要な膨大な計算リソースが提供されているとのことですが、参加を決定した経緯をお聞かせください。
角山 エヌビディアはもともとゲーム機などに使う画像処理半導体(GPU)で知られている企業です。それが汎用的に使えるようになると聞いていましたが、創薬への応用という点では未知数でした。
ただ、計算資源が増えれば、シミュレーションなど、できることが増えるのは確実。創薬への応用事例も出てくるにつれて、社内から「やりたい」という声も増え、アステラス社内におけるAI創薬への機運が高まってきたと考えて「Tokyo-1」への参加を決めました。
——実際に「Tokyo-1」を利用することでどのようなメリットがありましたか。
角山 早速成果が出ています。例えば医薬品の候補となる化合物を得るためには、「化合物の立体構造を予測する」という計算が必要です。これを普通の計算機で行う場合、1化合物当たり5〜10分かかっていましたが、「Tokyo-1」を利用することでこれが5〜10秒、すなわち従来と比べて50〜60倍ものスピードを達成しました。
1化合物であれば、その違いはわずかかもしれませんが、私たちはこれを数百万から数千万、ときには1億という数で解析するので、大きな差になります。
志鷹 一般的に医薬品の研究開発には9年から17年もの時間がかかる一方で、成功確率は数万分の1ともいわれますが、そのスピードや確率を「AI創薬」で高められると考えています。もう少し時間が経てば、当社の成功例をお話しできると思っております。
角山 「Tokyo-1」は、スーパーコンピューターだけでなくコミュニティーも提供してくれるのが大きなメリットです。複数の製薬企業が参画しているので、非競争領域においては各社が情報を共有し、協働してAIの技術を検証することができます。
AI技術の発展は日進月歩ですから、1社では難しいところも、協力してキャッチアップできるというのがありがたいですね。
——エヌビディアとのパートナーシップはいかがですか。
角山 エヌビディアはもともと、「NVIDIA BioNeMo™(バイオニモ)」という創薬における計算にとても役立つAIのソフトウェア環境を提供されていますが、ユーザーとしての意見をよく取り込んでくださいます。また、広いネットワークを持っているので、提携先の候補としてのAI企業なども紹介していただくこともあります。
ハード・ソフトの支援だけではなくビジネスそのものをサポートしていただける、心強いパートナーだと実感しています。
グローバル市場で戦うための「賢いリスクテイク」
——AIなど新しいテクノロジーの活用について、日本企業は海外に比べると慎重だとよく言われますが、貴社はどのように考えられましたか。
志鷹 当社の海外売上比率は8割を超え、グローバル企業であるという認識です。私たちはグローバルの競争に打ち勝つ必要があります。すでに「AI創薬」はグローバルで活発に行われるようになっており、海外勢に比べれば当社はまだ遅れていると言わざるをえません。
AI創薬には一定の投資コストもかかりますが、決断を渋っていては競争に負けてしまいます。当社は、中期経営計画でも「賢いリスクテイクの必要性」を掲げていますので、積極的に挑戦していこうという姿勢です。
角山 いろいろな戦い方があると考えています。AI創薬の成功事例が出てくれば、同じくAI創薬を目指す企業とのコラボレーションも増えていくでしょう。例えば、創薬のアイデアを持っているけれど計算資源が足りない、という企業に当社から計算環境を提供してパートナーシップを組むなど、新たな方法も模索中です。
「優秀な研究者」はデータも扱える
——AI活用が進む中、人材採用に変化はあるのでしょうか。
志鷹 大きく変わっていますね。「製薬に関する経験がない、データに強い数学のスペシャリスト」というアステラスの求人を見て、実際に入社してきた社員もいます。
最近の優秀な若手の研究者は、実験ができるだけでなく、データサイエンティストの側面も併せ持つ人が多いと感じています。やはり、データの扱い方が創薬や研究の結果に直結するということを理解している結果でしょう。
——国内外の社員を対象にDX人材700人を育成すると聞きました。
志鷹 現在、社内のデータサイエンティストが講師を務め、教育プログラムを開始したところです。研究だけでなく、製造や治験薬申請などでのメディカルライティングをはじめ、多様な部門でAIを活用する議論を進めています。
——これからの展望は。
志鷹 まずは、AI創薬でより具体的な結果を数多く出したいですね。グローバルにおけるAI創薬の研究開発環境をエヌビディアと一緒に整えていきたいと思っています。私たちの挑戦に魅力を感じ、共感してくれるデータサイエンティスト、AI人材の方に、業界外からでもどんどんアステラスに入社してほしいと願っています。