ライフサイエンス業界で「産学連携」が急務の理由 湘南に誕生「イノベーションの一大拠点」の正体
産学の連携によるオープンイノベーションの時代へ
――まず、ライフサイエンス業界でオープンイノベーションを推進するべき理由について考察をお願いいたします。
藤本利夫氏(以下、藤本) 技術の多様化が進み、ライフサイエンス業界の研究領域が大きく変化しているからです。医薬品を例に挙げますと、かつては化学合成で作る低分子化合物の医薬品が主流であり、1つの企業が研究から生産までを一貫して行っていました。この時代には、日本企業が世界市場で勝負できる薬を数多く生み出していました。
しかし、最近はバイオ医薬品やメッセンジャーRNAなどの新技術に基づく薬が増えています。これらの薬の開発を1つの企業で完結させることは難しく、欧米ではスタートアップや大学の研究室など小規模な組織が新技術を開発し、大企業との共創や買収を通じて社会実装する傾向が強まっています。このことからも、現代は産学の連携によるオープンイノベーションの時代へと移行しているといえます。
阿部博氏(以下、阿部) 私は、とくに大学に求められている役割の変化を実感しています。大学は教育と研究だけではなく、イノベーションの創出と技術の社会実装を担える組織へとシフトする過渡期にあるのではないでしょうか。
この潮流は、2014年度から大学関連ベンチャーの数が毎年増加傾向にあることや※、政府が22年にスタートアップ創出に向けた産官学の人材・ネットワークの構築の必要性などを盛り込んだ「スタートアップ育成5か年計画」を策定したことなどからも読み取れます。とくにライフサイエンスの分野は、研究からビジネス化までのスピードが重要なので、大学と企業の連携は急務でしょう。※経済産業省「令和4年度 大学発ベンチャー実態等調査 調査結果概要」(令和5年6月)
――日本のライフサイエンス業界におけるオープンイノベーションの障壁として、どのようなことが考えられるでしょうか。
藤本 1つは大学と企業の目的の違いです。大学は研究と社会貢献、企業は製品開発に重点を置いています。企業は短期的な成果を求める傾向が強いので、長期的な研究開発への投資が減少しています。欧米ではスタートアップが研究開発の役割を担うことで、このギャップを埋めています。また、スタートアップを支えるベンチャーキャピタル(VC)の投資も盛んです。このような多様なプレーヤーがおのおのの強みを生かして連携を進めていく構造、これをエコシステムといいますが、欧米ではこれが成熟している一方で、日本はエコシステムの構築が遅れており、それがオープンイノベーションの加速を阻む要因となっています。
阿部 私も同意見です。最近ようやく産官学のプレーヤーがエコシステムの重要性を認識し始めている段階で、大きな変化のうねりが生まれつつあります。ライフサイエンス業界を志望する若者もベンチャースピリットへのマインドシフトが見られ、大企業だけではなくスタートアップに就職する、起業するという選択肢が増えています。また、VCをはじめ起業家を支援するプレーヤーも増えており、成功したスタートアップが大学に知識を還元し、次世代のイノベーターを育成する循環も生まれています。日本でも連携や支援のメカニズムが形成され始めていると感じます。
多面的支援でエコシステムの未来をひらく
――湘南アイパークは「世界に開かれたライフサイエンスエコシステムの構築」をミッションに掲げ、幅広い企業や団体が結集して、ヘルスイノベーションの一大拠点を形成しています。具体的な事業内容について教えてください。
藤本 湘南アイパークは、革新的なアイデアや技術を社会実装するために、産官学が連携して実用化を目指す場です。製薬、次世代医療、細胞農業、AI、行政など約150社、研究者を含む約2000名のメンバーが所属し、組織の枠を超えたコミュニティーを形成しています。湘南アイパークの事業は、いくつかの柱によって支えられています。
1つ目は「ラボ提供」です。床面積約30万平方メートルの施設に、特定の装置や薬品を用いて生化学や合成実験などが可能なウェットラボを計116室完備しており、先端的な研究を行えます。
2つ目は「企業間交流の促進」です。施設へ入居するだけではなく、メンバーシップ会員に登録することで、入居している大企業、スタートアップ、大学、医薬品開発支援企業など異なる組織とのネットワーキングが実現でき、サイエンスの知識やビジネスの経験を持つスタッフが、コミュニティー活動を手厚くサポートします。
3つ目は、「アカデミアの研究シーズと企業とのマッチング」です。全国の大学から有望なシーズを募り、入居企業やメンバー企業のニーズとマッチングさせるためのコンソーシアム「iNexS(アイネックス)」を立ち上げました。これにより大学の研究と企業の製品開発の間の橋渡しの機能をサポートできると考えています。
――湘南アイパークで実現したオープンイノベーションの事例をお聞かせください。
藤本 例えば、京都大学iPS細胞研究所と武田薬品の連携から生まれたシーズを基にした企業で、細胞移植による再生医療などの製品を開発するオリヅルセラピューティクスは、湘南アイパークで誕生しました。また、ゲノム編集技術に特化したNexuspiral(ネクサスパイラル)は、湘南アイパークのインキュベーションプログラムに参加したことをきっかけに製薬会社と正式に提携を結びました。産学連携やインキュベーションプログラムを通じて、複数のスタートアップ企業の誕生やオープンイノベーションが実現しています。
人のつながりをアシストし、イノベーションの懸け橋に
――KPMGジャパンは、湘南アイパークでどのような支援を展開されているのでしょうか。
阿部 KPMGジャパンは、湘南アイパークと同じく日本でオープンイノベーションを加速させることを目標に、これまで大学発ベンチャーを中心に革新的な技術を有する企業および起業家を発掘・育成・支援するインキュベーション活動を展開してきました。湘南アイパークでは、これまでの経験を生かし、エコシステム構築の一助となるべくネットワーキングの支援をしています。
KPMGジャパンは会計・監査の知見やグローバルネットワークなどの強みを生かし、企業のM&AやIPOを支援していますが、湘南アイパークではインキュベーション活動がメインです。中立かつ公平な立場で、今世の中に何が求められているのかを見極め、人と人とをつなぐ役割を果たすことで、われわれ自身がエコシステムの一員として介在価値を発揮したいと考えています。
――藤本社長はKPMGジャパンの支援をどのように評価されていますか。
藤本 KPMGジャパンには、オープンイノベーションを目指す企業や団体に対してビジネスや監査の専門家としての価値を提供していただいております。企業やスタートアップは、ビジネス化に当たり自社に何が不足しているかを客観的に把握することが困難な場合が多く、ビジネスの世界への第一歩を踏み出すのは、高いハードルを感じるものです。事業支援を担える専門家がいることは、気軽に相談できるだけではなく、必要に応じて監査や他の事業支援へとつながります。
――では、最後にライフサイエンス業界に関連する企業や団体に向けて、湘南アイパークをどのように活用してもらいたいとお考えか、お聞かせください。
藤本 企業にはオープンイノベーションを推進し、スタートアップとのつながりを深める場として活用していただきたいです。とくに研究者が自社のラボから出て他の企業の研究者と交流することで自らの視野を広げ、アントレプレナーシップの精神を育み、アイデアを醸成させる場としても有効です。
スタートアップには、自身の研究を深化させ、企業との連携を図るためのプラットフォームとして活用してほしいと思っています。
大学には「iNexS」を通じて、企業のニーズを把握し、大学の研究シーズの社会実装を支援する企業を発掘する場として活用してほしいです。湘南アイパークはさまざまな企業や団体の異なるニーズに応え、それぞれの目的を達成するための支援を行うことで、広範なエコシステムの発展に貢献していきます。