今求められる「価値を生む」スタジアム・アリーナ 主催者や利用者に選ばれる「機能」とは
日本で「スマートベニュー」が実現しない理由
「ドリームチームともいえる国際的な大手設計会社との協業に加えコロナ禍ということもあって苦労も少なくありませんでしたが、いよいよ完成を控え、感慨深く感じています」と語るのは、横河システム建築 取締役 常務執行役員の髙柳隆氏だ。
同社は香港で建設が進む「カイタック(啓徳)スポーツパーク」メインスタジアムの開閉屋根の建設に携わっている。開閉屋根は長さ150メートル×幅45メートル、重さ2300トン。屋根2枚が約20分かけて両側に移動して開く。同スタジアムは天然芝のピッチを備えており最大収容人数は5万人。全天候型で、スポーツイベントだけでなく大規模なコンサートの開催にも対応できる。
スタジアムに隣接して国際規格400メートル屋外トラック競技場、屋内体育施設も備えている。屋内体育施設はバレーボール、バスケットボール、卓球、ボクシングなどさまざまな競技のほか、イベントでの利用も想定し柔軟に座席の位置を変更することができる。
「カイタックスポーツパーク」の竣工は2024年を予定しており、25年には4年に一度開催される「中国全国運動会(中国国体)」のメイン会場として利用されることが決定している。特筆すべきは同スポーツパークにおいては、周辺のエリアも含め、複合的な機能を組み合わせた計画となっていることだ。スタジアムの周辺には複数の広場や公園、ホテル、商業・遊戯施設、高層マンションなどの複合施設が機能的に配置されている。香港政府主導の下、文字どおりエリア一体となった街づくりが同時並行して行われている。
「随所に最新のAI(人工知能)やDXのテクノロジーが導入されており、まさに、多機能複合型スポーツ施設を中核とした『スマートベニュー』が誕生しようとしています。日本でも数年前に『スマートベニュー』の概念が注目されたことがありました。ところがなかなかそれを実現する施設が生まれず、中には『スマートベニューはもはや死語になった』と語る人もいますが、私はそうは思いません。日本でスマートベニューが進展しない理由は、どうしても単機能型の公共スポーツ施設という発想からスタートしてしまうこと、そしてデジタル化などのテクノロジーの活用が進んでいないことです。また、官民連携も進んでいません。マルチユースなスタジアムを核とした本物の『地域創生のスマートベニュー』が実現するためには、これらの課題解決が必要です」
イベントの主催者・利用者に選ばれる施設の条件
近年、日本で国際的かつ大規模なスポーツイベントが相次いで開催された。今後もさまざまなスポーツイベントの招致が行われる見込みだ。そこで課題となるのが、大会開催のために建設されるスタジアムやアリーナだ。大会終了後に稼働率が大幅に下がり、維持管理費だけがかかる「負の遺産」になるリスクも存在する。そこで最近では建設や維持に関するコストを抑えることが重視される傾向があるが、それに対して髙柳氏は「『球技専用』など、単機能でローコストを目指すスタジアムの建設例もありますが、これらはむしろ『稼働率の向上』に反したものになるおそれがあります」と指摘する。
例えばJリーグの場合、シーズン中のホームゲームは20試合前後しかない。それ以外の340日余りの日程で収益を上げるのは、サッカーに特化したスタジアムではなかなか容易ではない。とくに屋根のないスタジアムではなおさらだ。
「さらに収益性の高いイベントのスケジュールを埋めるためには、主催者が求める施設の規模、利便性、収支がイメージしやすく、開催場所として選択肢に残る『何か』がなければなりません。私たちはそれらのニーズにも精通していると自負しています」と髙柳氏は話す。
自信の背景には、同社ならではの特殊な事業環境がある。同社が手がける開閉屋根の駆動システムは点検やメンテナンスが欠かせない。神戸市にある「ノエビアスタジアム神戸」では、竣工以来20年近く定期的なメンテナンスを行うことで、施設の稼働状況を見続けてきた。
「イベントの主催者にとっては、電源の場所や数の違いだけでも評価が分かれます。今後は少子化や労働力の減少が顕著となるため、仮設機材の保有数の兼ね合いで設営や解体に時間を要しては、主催者は負担を強いられます。その結果、それらの施設は主催者から敬遠されてしまいます」
利用者にとっても、単機能な球技専用施設を無理やりコンサート会場として利用する場合と、コンサートにも対応できるようあらかじめ可動スタンドなどを備えた施設とでは利便性や快適性も大きく異なるだろう。
天然芝上部の屋内フロアを昇降させる新発想
マルチユースなスタジアムを実現するためにはどのような条件が必要なのだろうか。その問いに髙柳氏は「施設には、さまざまな用途に対応できる機能が必要です。当社はそのための技術開発にも早くから取り組んできました。それが『Phovare(ホバーレ)』シリーズです。開発に至った背景には芝の問題があります」と答える。
Jリーグのスタジアムは天然芝、もしくはハイブリッド芝を採用しなければならない。その育成のために開閉屋根を備えた施設が複数建設されてきた。一方で、天然芝の養生の都合により、ピッチエリアの利用日数が限られることにより施設の稼働率が低いという課題もあった。
「課題の解決のためにまずは19年に市場のニーズをつかむために天然芝ピッチ全体を昇降する『ホバーレ1』の開発に着手しました。その後、チームや主催者の意見を収集したところ課題も見えたので21年には改良を加え、天然芝ピッチを分割して昇降することで中規模な屋内空間を確保する『ホバーレ2』を発表しました」
23年、ホバーレシリーズはさらに進化する。「その後も顧客の意見を傾聴し続けた結果、重い天然芝を昇降させるのではなく、より軽量な屋内フロアを昇降させる『ホバーレ3』を開発しました」。
まさに逆転の新発想である。日常的には屋内競技フロアが配置され、競技種目やイベント規模によって3000~1万席の屋内空間を自在に実現する。
天然芝のサッカーグラウンドは屋内フロアの下に配置されており、屋内フロアの床トラス内部に設置したグローライトや散水装置によって育成される。サッカーで利用するときには屋根トラス内のウインチで屋内フロアを上昇させることで、1.5万席の天然芝サッカーグラウンドが出現する。上昇した屋内フロアの床トラスの下弦材には、ロールスクリーンを展開し、プロジェクションマッピングや照明演出に利用することも可能となる。常設屋根があるホバーレ3は「サッカーもできる多目的アリーナ」であり、稼働率に悩まされるスタジアムとはコンセプトが異なるのである。
「欧州の有名サッカークラブでは、すでに天然芝をグローライトで育成する可変型のスタジアムを建設しています。気候や芝種の違いはありますが、日本でも十分に開発が可能だと考えています。ホバーレシリーズはまだまだ十分とは思っていません。これからも要件や予算に合わせて検討を重ね、さらに4、5、6と開発を続けます。多くの要望を寄せていただき、ご一緒によい施設を創りたいと考えます」と髙柳氏は話す。
スマートベニューづくりのあり方も新しい発想が求められているといえる。従来、スタジアムやアリーナの建設当初の収支計算は1席当たりの価格の掛け算で行われがちだった。しかし、スマートベニューという発想になれば、周辺施設での飲食・交通・宿泊・物販などを組み合わせることで収益を高めることが可能になる。
「そのためにはスタジアム・アリーナが、スポーツの各種団体やエンターテインメントなどの各種業界とタイアップしたくなる自由度の高い設計や、民間投資の意欲が増すように後押しする公共制度の整備(緩和)が必要です。自治体ぐるみの振興や文化醸成がスマートベニューの実現につながると考えます」と髙柳氏は力を込める。
日本発のスタジアムやアリーナの建設・運営技術が地域を活性化し、世界をリードする可能性もある。横河システム建築の取り組みに賛同するスポーツ団体、企業、自治体が増えることにも期待したい。