AIは医療にどのような影響をもたらすのか? AI研究の専門家が語る「医療×AIの未来予想」
医療用画像管理システムを土台にメディカルAIを創出
鍋田 富士フイルムは、70年以上にわたり培ってきた画像処理技術を、近年医療分野に応用する取り組みを推進してきました。2018年4月には、世界シェアトップクラスの医療用画像管理システム(以下、PACS)に蓄積された画像データをベースに画像診断を支援する、AI技術ブランド「REiLI(レイリ)」を立ち上げました。
REiLIは、X線検査や内視鏡検査、超音波検査などで得られる画像を基に、AIを活用し開発した技術を用いて、対象臓器や領域などのより正確な認識・抽出、病変の検出や鑑別、読影レポートの作成支援などを可能にします。
医療の高度化・複雑化、疾病構造の変化を背景に、医療従事者の業務負担は増加の一途をたどっていますが、ワークフロー全体にAI技術を活用することで、そうした負担の軽減を目指しています。
松尾 REiLIのローンチから5年ということを踏まえると、理想的な進展度合いですばらしいです。私は2015年から16年ごろ、さまざまな企業に対して「必ずAIが台頭するので早めにキャッチアップをしましょう」とお話をして回っていました。実際それ以来、画像認識のAIは急速に広がりました。
しかし、その当時実際に技術開発に取り組む企業はほぼ存在しませんでした。理由としては、社内の既存事業に携わる人からの反対や摩擦も大きかったのでしょう。いわゆるイノベーションのジレンマですね。
鍋田 富士フイルムは、写真フィルム市場の衰退を経験しており、とくにこの数十年は事業を変容させながら持続的に成長を遂げてきました。こうした背景もあって、イノベーションのジレンマを覆す企業文化があります。AI技術の開発についても、松尾先生からPACSという医用画像のITプラットフォームを持っている強みに着目していただき、背中を押されてイノベーションを推進してきました。
現在、当社AI技術を活用し開発した製品の導入を進めているある病院では、放射線部門の検査・読影の大幅な効率化を達成し、検査技師の方の残業が減ったという事例も出てきています。
また、富士フイルムでは患者数が少ない希少疾患に対しても、AI技術を活用したソリューションを提供するため、医療機関や研究機関における画像診断支援AI技術の開発を支援するサービスを展開し、希少疾患領域における画像診断支援AI技術の開発を促進しています。
AI技術を使って日本のみならず世界の医療格差をなくすことを目標に、2030年には世界196カ国にわれわれの医療AIを普及させ、医療の社会課題解決を実現したいと考えています。
医師と医療機器との連携で医療AIを進化させる
松尾 AIのプロジェクトがPoC(概念実証)で終わってしまうというのは、よくあります。業務やワークフローの全体像を理解したうえで本当に効率化するべき部分を効率化し、トータルとして時間や工数を削減するということができていないからです。その点、富士フイルムのAI技術は医療従事者の業務やワークフローを踏まえて開発されているからこそ、現場に浸透しているのだろうと思います。
また、AIによって医療従事者の仕事がなくなるのではないかといわれることが多々あります。しかし、医療にアクセスできる人を増やして、全体をよくしていこうという発想に立つならば、とくに希少疾患などAIの強みを発揮できる分野にこそ、AIを生かすべきです。
桝本 よく「画像と医療が結び付くと医師を超えるようなAIが誕生するのでは」と聞かれることがあります。私は、実現するとしてもかなり先になるだろうとみているのですが、松尾先生はどのようにお考えでしょうか?
松尾 画像に関するAIの精度はかなり上がってきていますし、言語に関しても生成AIは医師国家試験の合格水準を満たせるようになりました。こうした現状を踏まえると、医師と同等あるいは医師を超えるような診察や診断精度を達成することは可能だと考えています。とはいえ、医師の仕事はかなり多岐にわたるので、AIがその仕事の全体をカバーすることはできないと思いますが、部分的には医師の能力を超えることはありうるはずです。
ただ、医療AIを開発したとしても、医師からのフィードバックがないと精度は高まりません。そのため、医師からデータでフィードバックをもらうような仕組みをつくり、AIの判断を改善していく流れをつくることがいちばんのポイントになると思います。
現状の生成AIでは、なぜその結論が出てきたのかわからなかったり、バージョンが変わると動き方が変わったりしてしまうので、医師による医学的根拠に基づいた判断で質を担保することも非常に重要です。
桝本 ロボット手術にAIが搭載されることも予想されていますが、私はまずカーナビのような手術のナビゲーションが必要だと思っています。自動車はカーナビがあって、ようやく自動走行が実用化されつつありますが、手術に関してはカーナビに相当するものがありません。
われわれはCTやMRIで3次元構造を作ってきたので、まずは複雑な人体の構造を可視化する「地図」を手に入れて、それを基に手術をナビゲーションする仕組みをつくりたいと思っています。これまでの技術では、複雑な人体を認識するまでには到達できませんでしたが、それがかなうところまで来ているのではないかと感じています。
富士フイルムは超音波診断装置などの医療機器も持っています。それらとの連動を含めて手術をアシストする技術を開発できる立ち位置にいる企業は、世界でも少ないはずなので、この領域で当社の強みを生かせると考えています。
「AIは必ず質の高い医療を実現する」未来予想の理由
鍋田 手術に関して、日本の医師は患者さんのQOLを非常に大切にされており、低侵襲手術の技術を磨かれています。低侵襲手術のノウハウをAIの技術に生かすことは、医療アクセスの観点からも意義があるので、医師の皆様に協力していただきながら、グローバルに拡大していくことも見据えています。
松尾 日本の医療のレベルの高さを世界に広げていくという思考で、AI技術の新しい領域を模索していると、何を強みとするべきかおのずと浮かんでくるものですよね。こう進もうと決めると、弱みだと思っていたことが強みに見えてくることもあるはずで、日本にはAIの開発に当たり強みにできる部分は数多くあります。意思あるところに道が開くということに尽きるのではないでしょうか。
桝本 近年の急速なAIの技術革新を踏まえると、10年、20年先の医療AIの姿を予想することは困難だと思うのですが、いかがでしょうか?
松尾 おっしゃるとおり、予想は難しいですね。ただ、マクロで必ずこうなるだろうという予想はあります。それは、「AIによって質の高い医療を実現している」ということです。現在は、医師の脳内だけに知見がたまっている状態ですが、その知見は全世界で共有されるべきであり、患者さんに還元されるべきです。AIはその一助になりますので、結果として全体的に医療の質が底上げされるはずです。ひいては人々が病気になったときも安心して医療を受けられるようになると思います。
鍋田 私は「未来は未来になく今にある」という言葉が好きなのですが、AI技術に関しても、今できることをしっかりやり遂げることで未来が生まれるのだと信じています。
松尾 本当にそうだと思います。とにかく試行錯誤を増やして、これぞというものに踏み込む。日本の企業にいちばん足りないのは、そうした行動力であり、自分たちが目指す世界に速いスピードで近づくためには、実直に取り組んでいくことが必要です。
その意味でも、富士フイルムのAI技術への向き合い方は、参考になる事例ではないでしょうか。日本企業が日本の高い医療技術を取り入れながらAI技術を生み出し、世界にプラットフォームを提供していくということは、これまでほぼ例がないことです。今後もこの歩みを発展させて、世界にインパクトを与え続けてほしいですね。