Jリーグ前チェアマン「恩返し」のカタチとは 「思い」を事業化したユニークなプロセスを聞く

「村井さんが本当にやりたい恩返しは何だろう」
――村井さんはJリーグチェアマン退任直後、「ONGAESHI Holdings」を設立されました。
村井 私は新卒でリクルートという会社に入り、30年以上にわたって「人と組織」に携わってきました。2014年に、それまでとまったく異なるJリーグというスポーツの世界に入ったわけですが、門外漢の私を迎え入れて育ててくれたという思いが強くあります。ですから、8年間務めたチェアマンを退任するタイミングで頭に浮かんだのは、これからの人生は、自分をここまで育ててくれたことに何かしらの「恩返しをしたい」という漠然とした思いでした。
でも、Jリーグや全国に60あるクラブの力を借りるのでは本当の恩返しにはなりません。Jリーグやスポーツの外側から恩返しができないだろうかと考えていたとき、昔から知っていた丹野さんと話をする機会があったんです。

丹野 話をして考えたのは、「村井さんが本当にやりたい恩返しは何だろう」ということです。
恩返しでやりたいことを挙げていくと、豊富な知見と人脈を持つ村井さんだけに、ちょっと話をするだけでも100個、200個とアイデアが膨らんでいきます。しっかりと絞り込まないと選択肢が多すぎて身動きが取れないのではないかと思いました。
村井 まさにそのとおりで、「恩返しをしたい」というコンセプトは明確だったものの、具体的にどうするかは見えていませんでした。話をするうちに、多くの人の思いを背負い、人生を懸けてプレーしている選手たちを応援してくれている地域の企業に恩返しすることが、ひいてはJリーグやスポーツ全体、地域社会への恩返しにつながるのではないかというイメージが湧いてきました。
しかし、何をやっても恩返しにつながるともいえますが、一歩間違えると何も恩返しができていない状態に陥るおそれもあったと思います。
それを察した丹野さんが『戦略質問』(東洋経済新報社刊)という書籍を渡してくれました。トライファンズのシニア・アドバイザーである金巻龍一さん(元IBM戦略コンサルティング統括常務執行役員、GX株式会社代表)の著書ですが、そこで書かれている、多くの時間と費用をかけるのではなく、芯にあるものを短時間で手繰り寄せていく戦略策定のプロセスに興味を持ちました。
丹野 それをサービス化したトライファンズの「The Decision」を受けていただき「ONGAESHI」の具体的なスキームをつくっていきました。
ONGAESHIという思いを自問自答で磨いていく
――トライファンズの「The Decision」とは、どのようなサービスなのですか?
丹野 一言で言えば、経営者に特化した意思決定支援サービスです。一般的に、企業の戦略立案プロジェクトはさまざまな部門からメンバーを集め、数カ月かけて進めることが多いですが、「The Decision」は短期間・少人数。具体的には経営者とマンツーマンで、40分を3回。計2時間で戦略の意思決定を行います。
村井 「The Decision」でのマンツーマンの壁打ちは、私にとってはやりやすかったですね。

――具体的に言いますと?
村井 一貫して、自分の思考に付いているぜい肉がそぎ落とされる感覚でした。いわば、経営者として必要なデトックスの時間なのです。カンナの刃を向けられて削られるのではなく、自問自答しているような感じで、徐々に構想が収斂されていきました。
思いを引き出す手法としては、カウンセリングやコーチングがありますが、それらとは明確に違って、やはり戦略コンサルティングなのです。強く印象に残っているのは、「問いかけの置き換え」のバリエーションが非常に豊富だったことです。「村井さんのおっしゃっているのはこういうことですか」と何回もさまざまな経営モデルや事業例が提示されました。深く経営を理解していなければできない手法だと思います。
丹野 実は、準備にかなりの時間をかけています。経営者の方が自問自答できるだけの質問をぶつけるには、ビジネスモデルやマネタイズの手法、市場動向などを把握しておく必要があるからです。経営者との壁打ちは1回40分ですが、準備は1回につき少なくとも8時間以上、何日もかけてリサーチをすることもあります。
村井 初めて聞きました(笑)。私の視座に合わせた準備をしてくれたからこそ、的確な例示が次々に出てきたのでしょうね。
その質問が、適切な「決断」を支援する
丹野 経営においては、判断よりも「決断」が重要だと思います。いつも緻密にリサーチを重ねているのに、なぜか事業にならないという企業はたくさんありますが、どれがいいかを判断するよりも、何をやるか決断することで、事業の種が生まれるようになります。そのお手伝いを「The Decision」でしながら、そこで生まれた事業も支援し続けていくのが私どもの役割です。
―― 今回、ONGAESHIのカタチが「ONGAESHIキャピタル」というファンドとなりました。
村井 多くの商取引形態である2社間取引は、どうしても相手に見返りを求める関係となりますから、「恩返し」にはそぐわないですよね。一方、ファンドというスタイルですと、思いに共感、共鳴する企業が複数集まり、1つの共通の目的のために集うことになります。ファンドはさまざまな定義がありますが、私たちは、お互いが足りないものを持ち合うようなシェアリングエコノミーのスタイルだと捉えています。地域に恩返しをするというブレない旗印を立て、そこに共鳴するものが集まり価値をクリエートしていく協創モデルが新しいONGAESHIのスタイルだともいえるでしょう。最初、ファンドという発想はなかったのですが、私自身の思いと協創モデルというスキームが自然な流れでファンドに着地したのではないでしょうか。

丹野 「ONGAESHIキャピタル」は人材ネットワークに基づく一流経営者だけではなく元Jリーグプレーヤーなどの人材も提供することが特色の一つになっているのですが、それは、村井さん自身が“HR領域の専門家だからできる”といえるでしょう。ずっと、人と組織の視点から経営をされていましたから。実際、「天日干し経営」の名の下で大胆なHR改革に踏み切り、Jリーグの収益を倍増させました。こうしたノウハウや経験を地域企業への支援に生かせることは、大きな特徴であり、恩返しのエコシステムを構築できると確信しています。
Jリーグの生産性を向上させた「天日干し経営」とは
――「天日干し」について、村井さんは2023年9月に著書『天日干し経営』(東洋経済新報社刊)を上梓されています。どのような考え方なのでしょうか。
村井 「魚と組織は天日にさらすと日持ちがよくなる」とJリーグで働いていたときもよく口にしていました。日にさらすことで、マイナスが減りプラスが大きくなる。不正や犯罪の多くは密室で起こっていますから、経営における天日をステークホルダーの視線と位置づけて、その視線を浴び続けることで、リスク減少につながるわけです。これは組織内の人材評価も同様で、評価プロセスも伝えず結果だけ知らされたらモチベーションを失い、発揮されるはずの能力が阻害されます。逆に、関係者が評価プロセスを見られるようにして、本人や組織にフィードバックする仕組みをつくれば、生産性は上がります。それをJリーグでも実践してきました。
丹野 私は、日本を再興したいという強い思いでトライファンズを2012年に創業してから、地域企業の支援に力を注いできました。実際、「人と組織」のテコ入れをすることで、大きく地域が活性化される可能性は高いと感じており、「ONGAESHIキャピタル」を通じて地域企業の成長に寄与していきたいですね。そして、短期間・少人数の「The Decision」で経営者の決断を支援し、カタチは異なれど、次なる「ONGAESHIキャピタル」を生み出すお手伝いをしていきたいと思います。