「ナレッジシェアを文化に」狙いは経営戦略の加速 複数の施策でアップデートし続ける理由とは?
ナレッジシェアの狙いは経営戦略のドライブ
リクルートには年1回、全社員が注目する一大イベント「FORUM(フォーラム)」がある。そのメインは、社員が業務の中で得たノウハウやナレッジをプレゼンテーション形式で発表するというものだ。
例えば過去には『Airペイ』という、さまざまな決済をタブレット端末またはスマートフォンとカードリーダー1台で決済できるサービスを開発したメンバーが、ナレッジを発表。ハードの製造工場を持たないリクルートがOEM(製品の委託生産)に取り組むまでに、他社のカードリーダーを研究。海外工場をリサーチ、直接訪問するなど、あの手この手で開発を実現に導いたストーリーだ。この経験を「前例のないチャレンジを成功させる秘訣」として、汎用性のあるナレッジに落とし込んで紹介した。
このようなナレッジシェアを推奨するのは、なぜなのだろうか。FORUMの仕掛け人である、リクルート経営コンピタンス研究所の島雄輝氏は「経営戦略をドライブするための手段と位置づけているから」として、こう続けた。
「ナレッジシェアには大きく2つの意義があります。まず1つ目は抽象度が高い経営戦略の具体化。会社として目指す方向性やビジョンを伝えるだけではなく、それに沿った業務はどんなものか、ということを具体的に示すことができるという側面です。
2つ目は、競争優位性の向上。職種や領域などに範囲を限定するナレッジシェアでは、濃い情報を共有できる一方で、他部門との比較ができずタコツボ化するリスクがあります。それを防ぐためには、全社横断でナレッジを共有する機会が必要。個人が発掘し磨いたノウハウは、領域を飛び越えるすばらしい知的資本です。それを全社で共有することは、リクルートの競争優位にそのまま直結するでしょう。FORUMはリクルート独自の文化の象徴であり、その真の目的は経営戦略をドライブさせることにあるんです」
しかし自ら試行錯誤の末にたどり着いた必勝法であれば、独り占めしたいと考えてしまうもの。だからこそナレッジシェアを浸透させ、さらにより強固なものにしていくためには、多大な情熱と数多くの仕掛けが必要だ。リクルートは過去からの積み重ねによるナレッジシェアの文化を、どのような「多大な情熱」と「さまざまな仕掛け」で強化しているのだろう。最初に、「多大な情熱」について聞いた。
書類審査では、まず8ページにわたってみっちりと記載してある起案資料を、プロダクトや事業の責任者が1カ月かけて40件以上読み込む。
「その後、書類審査を踏まえた審議会が行われます。その中で、このナレッジを本当に表出するべきか、経営戦略と照らし合わせたときにいちばん伝えたいポイントはどこなのか、侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論が交わされます」(島氏)
案件が決まってからも「多くの人がパクれるナレッジ」にするべく、起案者や上司、FORUM事務局など関係者総出でプレゼンテーションのストーリーを磨き上げていく。当然、FORUM以外にもそれぞれに担当業務がある中で、審議員によってはまるまる2日間を、話者に至っては発表当日までに30時間以上かける人もいるという。
こうした事実からも、「やらされ仕事」ではなく、関わる全員がそれぞれFORUMに対して強い思いや目的を持っていることがうかがえる。このような制作側の思いが、登壇者の話を聞いた社員にも伝播していっているのだろう。
ナレッジを「集めて、伝え、使ってもらう」までを計画
次は、「さまざまな仕掛け」の事例についてだ。
FORUMでは担当事業や職種の特性を踏まえて4つの部門「GROWTH FORUM(事業開発・改善部門)」「ENGINE FORUM(テクノロジー部門)」「GUARDIAN FORUM(経営基盤部門)」「TOPGUN FORUM(顧客接点部門)」に分類し、約1.9万人の社員を対象に発表者を募集。各部門から選び抜かれた約30案件が、プレゼンテーションの権利を得る。
カギとなるのは「全社で共有するべき、質の高いナレッジ」を集め、効果的に伝え、そのナレッジを使う人を増やす、という一連のプロセスを回すことだろう。リクルートのナレッジマネジメントは、「ナレッジを集める・伝える・使う」のすべての部分を強化している点にすごみがある。ここではとくに「伝える・使う」にフォーカスを当てて紹介したい。
まずリアルで開催しているFORUMのプレゼンテーションはオンラインでも配信されるほか、蓄積していけるように、ポータルサイト上で過去の動画を閲覧できる仕組みになっている。ここでは、見たい案件をピンポイントで見つけられる機能だけでなく「想定していなかった気づき」を得るための工夫も施しているという。
その1つが、ナレッジをリクルートのビジネスモデルにひも付けて紹介すること。業務の中で感じている課題に対して、ビジネスモデルのどの部分に改善の余地がありそうなのかを見立て、該当する案件を視聴することで解決のヒントを得てほしいという狙いだ。それ以外にも、営業担当者の顧客課題に合わせた案件紹介など、閲覧者が知りたい情報の粒度や切り口に合わせた複数の見つけ方を用意することで、多様な角度の発見を生み出すことになるのだという。
2022年からは、ナレッジが選ばれた際の賞金に加えて発案者がその横展開を支援したケースにインセンティブを支払うという取り組みも開始。具体的な額は横展開の規模などにより変わるが「(自分のナレッジが)使われる」ことに対しても、誇らしいと感じる心理的な報酬だけではなく、物理的な報酬でも報いるための仕組みとして生まれたものだ。これはリクルートの人材マネジメントポリシーで会社が約束することとして示している「3つのPROMISE」の1つ、「Pay for Performance:期待する役割や成果に対してきちんと報酬で報いることができる仕組み」を体現している。
また、近年はFORUMから刺激を受けて「自分も新しい価値の創造を実現したい」と考えた社員に対して、挙手制で行うアフタープログラムを実施。すでに表彰されているナレッジは汎用性が高い分、抽象度も高く、自らの実務をナレッジに昇華させるまでの手本にするには難易度が高いという課題から始まった仕掛けだ。3カ月から半年ほどかけて実施する研修では、実務の課題を見つけ、ナレッジを活用し、新たな価値創造を設計、推進するという一連の流れを経験する。今ではアフタープログラムの参加者からFORUMの受賞者が誕生するなど、理想的な循環が生まれつつある。
リクルート独自の知的財産を進化させていく
生成系AIが象徴するように、テクノロジーの進化が著しい今、ビジネスの文脈でも改めて「人間にしかできないこと」の価値が問われている。そしてその1つが、人が生み出したナレッジを人によって進化させていく「ナレッジシェア」の取り組みだ。
「どの会社にも、自社が独自に培ってきた知的資本があるはずです。その『秘伝のタレ』をオープンにして、集合知で進化させていく。それによって会社全体の血流がよくなり、組織が生まれ変わるスピードも速くなります。その意味で、ナレッジマネジメントは人的資本経営の重要な要素であり、非常に効率のいい経営手法でもあるのではないでしょうか」と、島氏は改めてナレッジマネジメントの価値を語る。
しかし、日本全体を見渡すとナレッジシェアは、いわゆる居酒屋談義や先輩の背中を見て学ぶなど、暗黙知になりがちだ。リクルートはそのあいまいさを見逃さず、ある意味“狂気的”なほどにナレッジマネジメントを追求してきた。これからも仕組みをアップデートし続け、ナレッジシェアの文化をより強固なものにしていくのだろう。こうした姿からも、リクルートの強さを垣間見ることができそうだ。