世界で激変する「ラグジュアリー」と日本のホテル 「唯一無二」のブティックホテルが注目される訳
世界の潮流とは異なる日本のホテル業界の今
中野香織氏(以下:中野)TRUNK (HOUSE) は、ここ神楽坂で料亭や芸者さんの踊りの稽古場として使われていた建物をリノベーションしたそうですね。
野尻佳孝氏(以下:野尻)花街の風情が残る神楽坂になじんだ外観はそのままに、2019年にオープンしました。ホストが大切なゲストを招き語り合う場という意味合いを込め「TOKYO SALON」をコンセプトにしています。海外アーティストなどがここを定宿にし、気に入ってくれていますね。
中野 こうしたコンセプト重視のブティックホテルが今、世界でも注目されているとか。
野尻 アジアを含め、世界が新価値の創造に意識を向ける中で増えてきています。ブティックホテルとは、ターゲット層を明確に定め、一店舗ごとに異なるコンセプトと高い創造性を発揮した、高品質・高価格帯のホテルのこと。世界ではブティックホテルが続々とオープンしています。
中野 日本ではまだまだ高価格帯ホテルというと「ビルの上層階に外資系ホテルとアフタヌーンティーを持ってくる」という話になりがちですよね。
野尻 そうなんです。日本ではまだブティックホテルが浸透していません。世の中の価値観が大きく変わる中、私は「ラグジュアリー」という概念に注目しています。ラグジュアリーの定義は近年、大きく変化していますよね。中野さんのご共著『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済10の講義』に、「現代のラグジュアリーはストリートまで広がっていかないと」と書かれているのがとてもいいなと思いました。
中野 ありがとうございます。日本ではハイブランドやいわゆる「高級品」がラグジュアリーだと捉えられています。そのため、「ラグジュアリーとは富裕層向けの商品やサービスのこと。自分には関係ない」と思っている人が多いですが、そうではないということを知ってほしいと思います。ラグジュアリーにこうした「ハイブランド」的なイメージがついたのは、ほんのここ30年~40年のことなのです。
新しいラグジュアリーで求められる「意識の深さ」
野尻 ラグジュアリーの意味はこれまでも時代によって変化してきましたよね。
中野 ラグジュアリーという言葉の語源には「色欲、繁茂(豊かさ)、光(光り輝くもの)」という意味を探ることができます。中世には王侯貴族が富や社会的階級を誇示する手段、18世紀には有閑階級の愛妾経済(あいしょうけいざい:男性から女性に装飾品などの贈り物をする習慣によって発展したとされる)、19世紀になると新興ブルジョワの紳士文化と、その示す範囲は変化してきました。さらに、20世紀にはハイブランドが次々と生まれ、その後半には巨大コングロマリットが誕生しました。観光業やホテルではいかがですか。
野尻 近代ホテルの歴史をさかのぼると、中世の貴族の迎賓館や、互いの邸宅でもてなす近世の貴族文化があります。パーティーは夜を徹して行われたため宿泊設備も整っていました。それがグランドホテルの原型です。19世紀に交通が発達し、鉄道の駅周辺に近代的なホテルが誕生したことを皮切りに、グランドホテルを模したホテルが世界各地に造られました。多くの日本人がラグジュアリーとして把握しているのもグランドホテルですね。
中野 ラグジュアリーの意味は2000年以降でとくに変化しましたよね。価値観の多様化やインターネットの普及により、人々の意識や行動が変化しています。今は歴史上の何度目かの転換期でしょう。ラグジュアリーは時代の変化に敏感で、15年あたりから顕著に反応しています。業界では17年前後に「コンシャス・ラグジュアリー」(意識が深いラグジュアリー)という言葉が登場しました。これは地球環境やジェンダーギャップ、人権問題などに意識を向けてこそ、ラグジュアリーはサステイナブルなものになるという意味のキーワードです。
野尻 17年といえば私たちが神宮前にTRUNK(HOTEL)を造った年ですね。私も多様化、複雑化して捉えにくくなっているラグジュアリーをどうビジネスにするか研究したくて、15年ごろから大学院で社会学を学び、社会と良好な関係をつくろうと考えました。そこで、街のボランティアに参加したり、TRUNK(HOTEL)の立ち上げスタッフと一緒に「21時に電気を消す」「車や飛行機に乗らない」といったエネルギーを極力使わない生活を試してみたりしたのですが、すごく疲れてしまって。自分たちが疲れるものは長続きしないと感じました。そんなとき、ラグジュアリーでもサステイナビリティーの視点が重要だと言われるようになりましたが、顧客に我慢させるような取り組みではなく、ほかにもっとできることがあるのではと思ったのです。
中野 おっしゃるとおりですね。つらい我慢は続かない。具体的にはどんなことだと思いますか。
野尻 もっと従業員の処遇を見直すとか、取引先や地域の方と良好な関係を築くことが大切ですよね。Z世代はじめ、消費者は目が肥えていますから、企業が本気で社会と向き合おうとしているかどうかはすぐにわかります。だから、私たちは等身大で長続きできることをやり、社会と良好な関係を築いていこうと。それをラグジュアリーだと捉えてくれる人がいると考えたのです。
包摂と多様性を実現するのは「マニュアルなし」の職場
中野 私が共著で言語化していたことを野尻さんはすでに実践なさっていましたね。ファッションの世界でも、職人の幸せや地域社会との良好な関係など、これまでなおざりにされていた点に意識を向ける企業や人が増えています。今後、消費の中心になっていくZ世代は「ラグジュアリー製品の高価格にはその企業が社会的責任を果たすための費用が付加価値として含まれている」と考える傾向が強いですね。
野尻 当社には建築家やデザイナー、コミュニケーションディレクターなど、さまざまな分野の一流クリエイター約15名で構成した「アトリエ」という組織があります。このアトリエチームと「ソーシャライジング」のコンセプトと共鳴するさまざまなアーティストとが協働し、プロダクト制作や企画を行っています。例えば、TRUNK(HOTEL)では障害者支援施設に所属するアーティストと協業し、オリジナルワインのエチケット(ラベル)を一緒に手がけたり、館内で販売するベーカリーに渋谷区の就労支援施設の自家製酵母や厳選素材を使ったものを採用したりなど、単純なボランティアではなく、きちんと価値あるものとしてお客様に提供しマネタイズまでしっかりと見据えた取り組みを行っています。また、週末を中心によくイベントを行っているのですが、通常廃棄される装飾で使われた花をフラワーコーディネーターの発案で、毎週月曜日にワンコインのブーケとして販売する「ソーシャライジングフラワーマーケット」を始めました。今では長蛇の列ができるほど人気です。
中野 ホテルが廃棄予定だった花を救ってブーケにして売るなんて、すてきなアイディアですね。
野尻 当社では、人事規定を社員が決めるなど、社員のエンゲージメントを高めていく方針を徹底しています。ホテルでは通常ありえない、「年末年始休暇」も従業員の意思によって決めました。また、やりがいや働きがいは自己実現によって醸成されるものと考えているので、例えば、業務時間の10%の時間や一定の自己研鑽予算を「自分のやりたいことの実現」に使える制度もあります。マニュアルはありませんから、お客様と一緒にサーフィンに行く社員もいますし、掃除をしていたスタッフが落ち葉でアートを作っていたこともありました。当社のスタッフは目の前のお客様を喜ばせるために何ができるのか自分で考えますし、その寄り添い方が次元を超えているんですよ。
中野 短いサイクルで大量の商品が販売され、世界のどこでも手に入る。そんなハイブランドを旧型ラグジュアリーとすると、新ラグジュアリーは包摂と多様性を実現するもの。旧型には「ワンランク上の私」といった上下の格差がありました。しかし、新しい世界の主語は「we:私たち」。ソーシャルイノベーションという視点を持つTRUNKはまさに新ラグジュアリーですね。
野尻 日本ではラグジュアリーと認識される範囲がすごく狭いですが、横にどんどん広がっています。視野を広げ、そして掘り下げていく時代になっていますね。
価値観の多様化への答えは「唯一無二」
中野 ラグジュアリーとビジネスの継続性についてはいかがですか。
野尻 近年、新規ホテル開発のコンペに呼ばれることも増えており、投資家やデベロッパーからもホテル運営の打診が来ています。ホテル業界では後発である当社に声がかかるのは、徹底したマーケティングを行い、展開しているホテルでその実績が出ているからです。私たちはウェディング事業において海外のホテルで婚礼の運営受託も行っていましたが、そうしたホテルでは顧客からのリクエストの種類も数も非常に増えており、コンプレイン(苦情)の数も増えていました。つまり、顧客の価値観の幅が広がる中で、「自分たちの顧客は誰なのか?」を定めていない従来のサービスでは、多様化する要望に追いつけないのです。それはコミュニケーションにおける大きなロスですよね。ラグジュアリーが多様化しているからこそターゲットを絞ることが重要です。ターゲットが好むクリエイティブとはどんなものなのか。建築、コンセプト、レストラン、アメニティー……。私たちのターゲットはとてもニッチですが、そのニッチな方に満足いただき、さらにその期待を超えたものを提供するためにクリエイティブに経営資源をしっかりと配分しているのです。
中野 なるほど。このTRUNK (HOUSE)でもディスコルームやバスルームの浮世絵など、意表をついた驚きがあります。ここはどういった方をターゲットにしているのですか。
野尻 旅慣れていて、ライフスタイル感度が高い高付加価値旅行層です。世界中のアーティストが定宿にしてくれています。その方々が求めているのはUnknown、未知のもの。そうした方に向けてクリエイティブチームが唯一無二のものを造ってくれました。そして、私たちはターゲットとなる方にTRUNK(HOUSE)を勧めてくれる国内外のインフルエンサーともコミュニケーションを取り、関係性を大事にしています。
各地の潜在的な価値を顕在化するホテルを
中野 今後はどんな展開を予定されていますか。
野尻 23年に東京・富ヶ谷にオープン予定のTRUNK(HOTEL)YOYOGI PARK(トランクホテル ヨヨギパーク)をはじめ、27年には東京・渋谷にTRUNK(HOTEL) DOGENZAKA(仮称)と神戸・三宮にEVOL HOTEL KOBE(仮称)を展開予定で、30年までに26店舗の新規出店を目指しています。まだ公表はできませんが、リゾート開発など、いろいろなお声がけをいただいています。もちろん、東京以外にも目を向けています。例えば、長野県にはリニアモーターカーの駅からアクセスしやすい場所に秘境の避暑地がありますし、ビーチリゾートもいいですね。酪農や漁業、林業など、その地域の1次産業と共創していくのもよいと思っています。今、和牛の産地で牛舎のすぐ近くにオーベルジュを建てた「○○牛ホテル」を造りたいんですよね。日本には諸外国にも負けないポテンシャルがありますから。
中野 同感です。日本には魅力ある伝統的な技術や工芸もたくさんありますよね。ただ、自尊心が低い傾向にあるためか、高付加価値化するのをためらってしまう。すばらしい技術やモノがあるのですから、価値あるものとしてもっと高く値付けをしていいと思います。
野尻 そうすることでよい循環が生まれるはず。当社はその潜在的な価値を顕在化していきたいと思っています。そして、日本にブティックホテル市場を創出していきたいですね。
中野 私も楽しみにしています。