今、人的資本経営に必要なのは「地域」の視点 企業や産業の枠を超えた連携がカギに

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企業や産業といった枠を超えて日本経済の再活性化に貢献する、地域版人的資本経営とは?
「人的資本経営」とは、人を「資本」と見なして投資することで人材の価値を最大限に引き出し、企業価値を向上させる経営手法である。日本経済の再活性化策とされるが、市場環境の変化がますます加速している昨今、必ずしも順調とはいえない。そこで新たな一手となりうるのが、企業や産業といった枠を超えて「地域」に着目するアプローチだ。

「人手不足」の真相は「職のミスマッチ」

政府が掲げる「新しい資本主義」の実現に向け、日本企業にはリスキリング(学び直し)を含む人的資本向上への取り組みが求められている。2023年3月期決算以降の有価証券報告書には、人的資本に関する情報を記載するよう義務づけられた。

労働市場の硬直化が長期化して人材の流動性が損なわれた背景には、高度経済成長期に確立したとされる「日本型雇用」の存在がある。終身雇用と年功序列が大前提であり続けたため、企業は自社の社風や理念・事業に合わせた人材育成を行ってきた。その名残から、人材育成は企業が担うという構造が半ば当然となったのである。

この弊害があらわになったのが、バブル崩壊後の1990年代だ。キャッチアップ型からイノベーション主導型が求められるようになった経済社会への適応に見事に失敗した。

「企業は収益力の低下を受け、人員の非正規代替や教育研修費用を含む人件費抑制によって生き残りを図りました。他方、企業の能力開発投資減少に対応して公的な職業能力開発支援が準備されたものの、産業界のニーズと必ずしも合致しないプログラム内容であったことや労働者の認知不足などから、十分な人的資本投資を行えなかったのです」(MRI研究員)

一般的に「人手不足」といわれている現象の多くは、実際には産業構造転換への対応に必要なスキルを持った人材が足りない「職のミスマッチ」によって生じている。

そこで、個社を超えたリスキリングや労働移動を促進するに当たって、MRIが有効と考えるのが産業政策、能力開発の効率性、個人の職業生活といった観点からリスキリングに地域限定性を持たせる「地域版人的資本経営」だ。

①地域は「産業集積の担い手」となりうる
産業の種別を問わず、ある特定領域の産業が高い生産性と競争力を獲得するためには企業や労働者の地域集積が必要となる。米国のシリコンバレーや、ドイツ南部における自動車産業の集積などの成功例が参考になる。

②地域は「産学連携実現の場」となりうる
多くの国において、特定の地域での産業集積が進むと、その地域に教育研究機関が設立され、発展するという傾向がある。教育研究機関が地域の産業や行政と結び付くことで、地域の人的資本投資の効率性が継続的に向上するというモデルが成立する。

③地域は「就業者の生活基盤」となりうる
コロナ禍でリモートワークが定着し、地域に縛られない働き方が増えてきているとはいえ、職住分離が可能となる働き方を実現できるのは、依然として一部の産業・職種にとどまっている。柔軟な働き方の可能性を取り込みつつも、就業者の現時点での生活基盤を重視することは、リスキリングを進めるうえで重要な視点となる。

以上のように、マクロな観点での人的資本経営を志向しつつも、具体的な取り組みを実施する単位として「地域」を想定することが効果的だ。

海外事例から得られる6つの要件

地域版人的資本経営の実現のヒントとなる、3つの事例を紹介しよう。

新卒一括採用のない英国では、若年層のスキル形成は大きな課題とされてきた。そこで2017年にスタートしたのが、後期中等教育修了後の16歳以上の若年層を対象とする「企業における見習い訓練制度(アプレンティスシップスタンダード)」だ。この制度を利用すると、賃金の支給を受けながら社外で仕事に必要な知識やスキルを習得できる。訓練制度のプログラムは産業界のニーズに基づいて作成され、従業員が習得するスキルの種別や目標に対する評価などに関する裁量権は雇用主にある点が特徴だ。英国教育省が能力開発全体に占める高度なプログラム利用数を増やしたことが、訓練のレベルアップにつながっているとされる
※Department for Education(28 November 2019)“Further Education and Skills, England:2018/19 academic year”(2023年2月9日閲覧)

次に紹介するのは、ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州の事例だ。1974年に開設された州立大学が、ハイテク産業や自動車産業などの集積に大きく貢献している。ハイテク化が進む世の中で、州立大学が高度な知識やスキルの習得機会を人々に提供してきたことで、グローバルプレーヤーとなる企業が多く生み出された。

第3の事例は、北欧スウェーデンである。同国はかつて鉄鋼などを産業の主力としてきたが、機械工業やハイテク産業へと成長の柱を移行させていった。社会経済環境に合わせて産業構造をスピーディーに転換させているのが、就労と学習(リスキリング・リカレント)の往還を特徴とする「移行的労働市場」を可能にする「積極的労働市場政策」である。この政策が成熟産業から成長産業へと人材を移動させることで社会全体の持続的な成長を可能としている。この仕組みを実際に担っているのが労使共同出資の再就労支援NPO「失業保険金庫」である。

英国、ドイツ、スウェーデンの事例からは、これからの日本に必要な「地域版人的資本経営」の要件が浮かび上がってくる(図2)。

具体的には、以下6つの取り組みが必要となるだろう。

①地域の産業戦略に連動した人材戦略・教育コンテンツを可視化する情報整備
 ②雇用主が従業員のリスキリングに積極的になれる仕組みづくり
 ③成長領域の企業と実務人材が関与する実践的な教育機会の提供
 ④能力開発プログラム全体のレベルアップに向けたPDCAサイクルの導入
 ⑤制度改正と官民支援での意識改革による「前向きな労働移動」の実現
 ⑥戦略をデザインし、関係機関をまとめ上げる「地域版CHRO(最高人事責任者)」の選出

最も必要なのは地域版の最高人事責任者

中でも重要になってくるのが、⑥の地域版CHROだろう(図3)。

さまざまな有効となる施策があっても、労使団体、有力企業、教育訓練機関、行政などのステークホルダーを取りまとめて引っ張るキーパーソンなくしては、物事は進まないからだ。この視点を持った地域版CHROが地域全体の戦略をデザインし、産業界(産業政策)、労働界(労働政策)、教育界(教育政策)をつなぐよう期待される。

「地域版CHRO」の確立と産業・労働・教育の連携イメージ

「安定はしていても、成長しない、賃金が上がらないという状況には、何か解決すべき問題が潜んでいるはずです。地域版人的資本経営モデルは、産業の一部領域に縮小や変化を求めることになります。しかし、停滞した市場で成長なき安定を求めるのではなく、地域・産業クラスターが一丸となって、次の成長領域に向けた投資を進めていくことで、道が開けるのではないでしょうか」(同)

 地域版CHROには、周囲を丁寧に説得しつつも、利害調整ができないときには反対意見を包み込み、物事をパワフルに進める地力も必要になる。イニシアチブを発揮してこの役割を果たす存在として、全国の首長や、地域、産業クラスターを代表する企業の経営幹部、労使団体役員らが候補となりうるだろう。

>>DX・GX時代に求められる「地域版人的資本経営」前編

>>DX・GX時代に求められる「地域版人的資本経営」中編

>>DX・GX時代に求められる「地域版人的資本経営」後編