「新時代の排水処理技術」カギ握る微生物の力とは 最先端研究を通じた学生の成長とSDGsへの貢献
各大学がその取り組みを模索する中、東洋大学は独創的な研究の支援と社会への実装を掲げ「重点研究推進プログラム」を推進している。そんな同プログラムの1つに選ばれたのが、細菌を活用した排水処理技術の研究だ。産業界も注目する、環境にやさしい排水技術の追求で生まれる価値と、プログラムを通じて学生が得られる学びとは。研究代表者である井坂和一准教授と、参加する学生たちを取材した。(肩書きは取材当時のものです)
「微生物」を使用し、排水処理にかかるコストやエネルギーを半減させる
気候変動や環境問題、AIやIoTといったデジタル技術の革新など、社会のあり方が急速に変わりつつある中で、世界中で早急に取り組むべき課題もまた、同様に山積している。
各国が連携してSDGsの達成を目指す中、2018年に東洋大学に創設されたのが、「重点研究推進プログラム」だ。地球規模の課題解決へ貢献する独創的な研究プログラムへの支援を通して、研究成果の社会への還元と世界レベルの人材育成を目標として掲げ、2023年3月時点で7つの研究プロジェクトが採択されている。
その中の1つが、理工学部准教授の井坂和一氏が進める「安心な水を未来へ~有用細菌による排水処理技術の開発と普及に向けて〜」だ。微生物を使った排水処理技術の研究・導入により、排水処理にかかるコストやエネルギーを半減できる大きな可能性を秘めている。
「従来の排水処理には多くのエネルギーとコストを必要としますが、現在、研究を進めているアナモックス菌という微生物を使った排水処理技術ではそれらを大幅に抑えられます。アナモックス菌を用いた排水プラントはすでに実用化されていますが、これを広く普及させるためには、さまざまな基礎データを集める必要があります。例えばアナモックス菌はどんな条件下であれば効率的な動きをするのか、工場ごとに違う排水成分に対応させるために必要な要素や、排水した際の環境への影響など、地道なデータの蓄積が研究のカギを握っています」(井坂氏)
基礎データの収集や研究には手間も時間もかかり、かつ長期スパンで行う必要がある。それだけに利益を追求する民間企業で取り組むことは難しい。排水処理技術向上による水質改善という、カーボンニュートラルに大きく寄与する研究が集中的に行えるのは、まさにこのプログラムならではのメリットといえるだろう。
東洋大学だからこそ実現できる専門を超えた連携
「重点研究推進プログラム」のもう1つの大きな特色として挙げられるのが、文系、理系の垣根を越えて学内のさまざまな学部・学科の研究者が連携しながら、1つの研究テーマを追求できることだ。井坂氏の研究プロジェクトでも理工学部をはじめとして、複数の学部と学問領域をまたいでチームを結成し、研究を進めている。
「環境にやさしいこの技術を広めるには、学術的な深みを持たせ、信頼性を上げる必要があります。研究プロジェクトの柱は排水プラントですが、例えば処理した水を放出した際の魚類等への影響予測は理工学部、海外展開をする際の課題やその解決方法については国際学部といった形で、さまざまな専門の先生が有機的につながることにより、多角的な視点で排水プラントの有効性を分析できます」(井坂氏)
ほかにも、排水処理で出た窒素ガスの評価や、排水処理に使う装置のセンサー、排水処理に関する住民の合意形成に至るまで、学内の各分野の研究者と連携している。先端の微生物排水処理技術だけでなく、関連するさまざまな課題に対し、学内の研究者が連携できるのは、総合大学である東洋大学の強みだ。
また、低コスト低エネルギーの排水処理技術は国内だけでなく、海外における水処理問題の解決にもつながるとして、民間企業からも注目されている。
「普及に欠かせない民間企業との連携も始まっています。コストもエネルギーも抑えられるアナモックス菌の排水処理は海外、とくに途上国での活用も期待されています。プラント建造にはサプライチェーンの課題が出てきますが、異分野の研究者と連携しているため、課題解決のサポートも可能です。実際、さまざまな企業から『水に関するプラットフォームの相談は東洋大学へ』という評価もいただいています」(井坂氏)
未知の世界に挑む面白さが、学生を育てる
重点研究推進プログラムは、学生の学びにとっても大きな意義を持つ。本プロジェクトで排水処理技術の研究を進める井坂研究室では所属する学部生と大学院生の計23名がプロジェクトに参加しており、学生への教育的効果も高い。
「文献や論文をしっかり読み、知識を身に付けることはもちろん必要ですが、環境工学はまだわからないことも多い分野。だからこそ重要なのが実験をやってみること。そして、目の前の事実や数字が何を意味しているのか、現象論からしっかり考えていくことが大切です」(井坂氏)
人の役に立ちたいという思いから、水処理に興味を持って井坂研究室に入った染谷果穂さん(大学院理工学研究科応用化学専攻)は研究室での学びをこう語る。
「水は人々にとって身近なもの。それを支える研究ができていると感じています。先生はいつも『いい方向にいっても、悪い方向にいっても考察が大切』とおっしゃいます。自分の予想とは違う結果が出てショックを受けるときもあったのですが、違う視点で考えるのも面白さの1つだと思うようになりました」
長期的なプロジェクトに携わる中で、学生たちはさまざまな気づきを得て成長していると井坂氏は話す。
「長期的に実験を続けるためには水槽のpHや水温を整え、機械の故障を防ぎながら、安全性も確保しなければなりません。一瞬の気の緩みで3カ月分の実験データが失われるおそれもありますから、学生は何に注意し、どんな準備を行うべきかを自然と身に付けていきます。自分で考えて行動し、そのうえで時間を管理する力は、彼らが社会に出たときにも役立つはず。学生たちは本当に頑張ってくれています」
学内外の連携で、多くの課題解決へ
研究プロジェクトを通じて、違う分野の教員や民間企業と連携できることも、学生には貴重な学びとなっている。水に興味を持って井坂研究室に入った富崎大介さん(大学院理工学研究科応用化学専攻)はプロジェクトを通じてさまざまな気づきを得たという。
「実用化と普及には、排水処理の技術だけでなく、微生物の培養や処理水を放流した際の環境への影響、住民の方の合意形成まで、幅広いプロセスが必要だと学びました。学会発表や重点研究プログラム主催のシンポジウムではいろいろな方から質問していただき、興味を持ってくれてうれしかったですね」
島田彩未さん(大学院理工学研究科応用化学専攻)はこう話す。「別の専攻の先生から分子学的手法を学んだ際に、それをどう利用できるか井坂先生と一緒に考えたり、同期に相談したり、周りを巻き込みながら物事を進めていくことの大切さを実感しました。大学院生活は残り1年。後輩たちに頑張ってもらえるよう、指導やマニュアル化も手がけていきたいです」
重点研究推進プログラムとしての期間は2022年度から24年度までの3年間だが、研究自体はその後も続いていく。
「基礎データの調査研究が終わったら実証段階へ進み、26年ごろには普及段階に入れる予定です。そこで実証データが取れれば普及の後押しもできるはず。また、窒素の排水処理がうまくいけば、食品残渣(ざんさ)の課題にも技術を応用できると考えています。最終的には環境の中にある自然治癒力を使って、多くの環境負荷を下げたいですね」(井坂氏)
地球に生きる誰もが当事者である、水や環境に関わる課題。重点研究推進プログラムは、東洋大学らしさを体現する研究を通じて、未来社会に貢献していくことだろう。情熱を持ってプロジェクトを推進する井坂氏と学生たちの姿勢に、世界を救う研究の萌芽を確かに感じることができた。