真冬の教室、「寒いのに窓開け」は避けられない? 東大とダイキンの研究が示した「実践的」解決策
きっかけは、当時の東大総長からの「相談」
2020年、新型コロナの流行が一気に広まり、学校現場には混乱がもたらされた。各自治体では緊急事態宣言の解除後、感染状況を踏まえながら授業を再開し、分散登校などによる3密(密閉、密集、密接)の回避や修学旅行の中止などといった感染症対策を行っていた。一方で、大学ではオンライン授業を実施し、依然、構内への立ち入りは禁止されたままという状態が続いており、東京大学においても例外ではなかった。教室での対面授業を再開できずにいたことに、当時総長を務めていた五神真氏は危機感を覚えていたという。
そこで同年6月、五神元総長は、空調専業メーカーであるダイキンに「教育現場を維持するために、コロナ対策で即効性のある打ち手を考えられないか」という相談を持ちかけた。それが発端となり、感染症対策として具体的に何をしたらよいかを教育現場に示すためのガイドを作るというプロジェクトが始まったのだ。
実はダイキンはコロナ禍前の2018年から東大と産学協創協定を結んでいる。この協創は単なる空調技術の研究開発にとどまらず、「空気」に新たな価値を付加し、さまざまな社会課題を解決していくことを目指したものだ。協定自体は長期的な目線での取り組みだが、ガイド策定は、今まさに直面している問題に対しての打開策であり、急を要した。
プロジェクトを東大側で取りまとめた東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻の大宮司啓文教授は、次世代空調技術の研究者。ガイドの策定やレビューに当たっては、機械工学だけでなく建築、医学、教育など多岐にわたる領域から研究者が知見を持ち寄った。ただ、それゆえの難しさもあったという。
「社会の役に立つためには、教育現場が困っているタイミングで一刻も早く何かしらの策を示すことが重要だという思いがありました。ですが、感染症が専門の先生からは『医療のガイドラインは一般に感染が収束した後で検証して策定するものである』との意見もありました。議論を重ねた結果、当初は『ガイドライン』として策定する予定だったものを、医療のガイドラインとの性質の違いを明確にするため『参考ガイド』という名称で世に出すことにしたのです。そのうえで、厚生労働省をはじめ政府・行政機関などから発出された感染リスク低減対策に対応して、工学的、実践的対策案を学術的に検討したものであることを明記しました」(大宮司教授)
何とか形にしたいという思いはダイキン側も同じだった。実は今回のプロジェクトについては、「中途半端に終わるのではないか」と懐疑的な声も届いていた。しかし、ガイド策定の中心となったダイキン工業テクノロジー・イノベーションセンター専任役員の香川謙吉氏に迷いはなかったという。
「窓開け換気をしないと感染症対策にならないという凝り固まった行動規制によって子どもたちが我慢を強いられるのはナンセンスです。とはいえ、単に否定するだけでは無責任。教育現場で実現可能なソリューションを示すことが、『空気で答えを出す』会社としての責任だという思いでやり遂げました」(香川氏)
学校が「窓開け換気」に頼る理由
学校によっては、換気設備や空気清浄機が設置されているところもあるが、現場には適切な使い方についての知見がない場合も多い。何をどうやって使えば、どの程度の換気ができるというデータもないため、わかりやすい窓開け換気に頼るほかない。しかし、窓開け換気に頼ることには課題もある。香川氏は、教育現場の現状を次のように明かす。
「春や秋はいいのですが、夏に窓開け換気をすると暑くて集中力が下がり、冬は冷たい外気が入って体が冷えて体調を崩したり、風邪をひいてしまうおそれがあります。窓を開けたまま教室の温度を保とうと冷暖房をフルに使って、電気代がとんでもない額になったという話も聞きました」
空気清浄機は換気そのものが行えるわけではないが、空気清浄機により清浄された空気を「相当換気」と呼び、換気と同等と考えることが可能とされている※1。空気清浄機を適切に使えば、窓開けによる自然換気や換気設備に代わる選択肢になりうるのではないかという仮説があった。
「どのような使い方をすれば、どれだけの効果があるのか。それが信頼できる判断基準として定量的に示されれば学校の先生方も参考になるはずです。子どもたちには、安心・安全で集中できる環境で学んでもらいたい。『空気で答えを出す』会社として、学校現場で実際に使える『答え』を出すことが責任だと感じていました」(香川氏)
※1 公益社団法人 日本空気清浄協会「JACA No.50-2016空気清浄機の性能評価指針」による
「窓開け」と同じ効果を発生させる方法
どうすれば適切に換気をしつつ、教室の温度を適温に保てるのか。2021年10月に発表された「教育現場向け参考ガイド」では東京大学とダイキン、日本ペイントホールディングスが共同して、学校管理責任者向けに、新型コロナ対策の室内環境の整備方法について具体的な対策案をまとめた。東大とダイキンで策定した第1部では、換気設備と空気清浄機による空気感染・エアロゾル感染のリスク低減対策をまとめている。
このガイドはシミュレーションに加えて、工学的実証に基づいていることが特徴だ。実験室ではなく実際の学校で検証しており、既存の教育施設でも比較的簡単に導入できる対策案を提示している。香川氏は狙いをこう明かす。
「シミュレーションだけでは、机上の空論で実際どうなるかわからないという不安を拭いきれません。一方、実測だけだと、たまたまそうなっただけではないかと疑念を持たれかねない。教育現場の納得性を高めるには、シミュレーションと実測の両方が必要でした」
実測に協力してくれたのは東京都中野区にある東京大学教育学部附属中等教育学校。実際にウイルスを使うわけにはいかないため、ウイルスに見立てた塩化カリウムの水溶液※2を教室内に散布して、いくつかのパターンでその粒子量を計測した。その結果、教室の後方中央部に空気清浄機を置くと、だいたい窓を10センチ※3開けたときと同じ効果があることがわかった。
空気清浄機は周辺の空気のみをきれいにする機器であり、部屋全体の空気はきれいにならないという印象を持っている人もいるだろう。しかし、シミュレーションを見るとそれが誤りであることがわかる。教室後方に空気清浄機を設置すると、吹き出した風が天井を伝って前方の教壇側へ。そして壁を伝って下に降り、足元を通って後方に戻り空気清浄機へと吸い込まれていく。実はこれはウイルス対策として理想的な気流の流れだ。大宮司教授は、こう解説する。
「病院のように感染者がいる場所が明確なら、空気を拡散させる前の直接的な排気処理が有効です。しかし、学校の場合は感染者を特定できず、むしろ拡散によってウイルス濃度を希釈させてから処理するほうが理にかなっています。人体は熱があり、自然な状態だと上昇気流が生じてウイルスは上に向かいます。誰が感染しているにせよ、天井で希釈させて足元を通って循環させる流れは理想的です。予想はしていましたが、これを実証的に示せたことは大きい」
発表から1年が経過したが、いまだ学校現場では窓開け換気が中心。ガイドの浸透が急務である。ただ、ダイキンは、早くもその先を見据えている。最後に香川氏は力強くこう語った。「定量的なデータがないと動けないのは、学校だけではないでしょう。ほかの空間においても、空気という『見えないもの』に対して、『目に見える』解を出していくことが私たちの役割です。今後もさまざまな方の協力を得ながら、皆さんの判断の拠り所になるものを発信していきます」
感染症対策という目的のために行っていた手段が形骸化し、根拠がおざなりになってしまうのは、さまざまな場面で今、起こっていることでもある。不安を解消し、自由で健康的な日常生活を気兼ねなく送るためにも、こうした「目に見える」指針こそが多くの現場で求められている。
※2 ウイルスが飛沫に包まれて浮遊する動態を模擬するのに、大きさなどの条件から塩化カリウム粒子が好適とされており、この実測では、その挙動を観測することで、ウイルスを含む飛沫の挙動を推定できるとしている
※3 文部科学省が公開している、「学校における新型コロナウイルス感染症に関する衛生管理マニュアル~『学校の新しい生活様式』」では、常時換気の方法として、窓を開ける幅は10センチから20センチ程度が目安としている