再生医療「実用化の壁」突破を目指す企業の挑戦 研究開発から上市まで加速を促す「場」を提供
「難病を治せる可能性」再生医療に集まる期待
再生医療は、機能が低下したり不全になったりした組織や臓器を、細胞や組織、ウイルスベクターなどを用いて再生させることで治療する医療のこと。近年は多くの製薬会社やバイオベンチャーがこの分野に参入するなど、研究開発が進んでいる。
再生医療が注目される背景にあるのは、これまで有効な治療法がなかった疾患を治せるかもしれないという社会的な期待感だ。医薬品の開発、製造などに関わる機器・消耗品を含む、総合的なサイエンスソリューションを提供するサーモフィッシャーサイエンティフィック(以下、サーモフィッシャー) ジャパングループのバイオサイエンスビジネスに属し、大学や研究機関にソリューションの提案活動を行う荻田伸夫氏は、次のように話す。
「再生医療は、既存の医薬品や外科的治療では根治が困難だった希少疾患や難治性疾患を治す可能性を秘めています。特に患者さんから免疫細胞の一種であるT細胞を取り出し、特定のがん細胞を攻撃するように遺伝子を操作して体内に戻す『CAR-T細胞療法』という治療法が開発されたことは大きく、この治療を受けた海外のある白血病の患者さんが再発せずに過ごせているという事例も報告されています。このように社会的意義が非常に大きいことが、再生医療が注目される1つの要因です」
経済産業省によると、再生医療の市場規模は2050年に国内で2.5兆円、世界で38兆円になると予測されている。「研究や治験段階の再生医療も多いですが、再生医療市場は拡大の一途をたどっています」と話すのは、サーモフィッシャー ジャパングループのバイオプロダクションビジネスでマーケティングを担当する星野洋子氏だ。
「大学などアカデミア発のベンチャーが新しい技術を続々と開発していることや、製薬会社などが積極的にM&A(合併・買収)を行い、再生医療の需要に対してキャパシティーを増やしていることが、市場の成長を後押ししています。国も再生医療を推進する方針を掲げており、治療法として正式に承認される再生医療等製品も増えてきている状況です」
こうした背景について、サーモフィッシャー ジャパングループのバイオプロダクションビジネスの責任者を務める開田強氏は、次のように考察する。
「例えば、生活習慣病など患者さんの母数が大きい病気は、薬剤を製造するに当たり治験にかかる費用が莫大なので、必然的に大手製薬企業しか手が出せませんでした。しかし、再生医療のターゲットとなる希少疾患は、患者さんの母数が小さいことから小規模なベンチャーにも入り込む余地があります。こうしたことから、再生医療の研究や実用化にチャレンジするケースが増えているとみています」
再生医療の市場には、シーズ開発を担う大学や研究機関などのアカデミア、シーズを基に事業化を目指すバイオベンチャー、薬を製造・販売する製薬企業やCDMO(医薬品の受託開発製造)などが存在する。新薬の研究開発から製造、販売まで、各役割を持ったプレーヤーが連携することによって、初めて実用化の道が開けるというわけだ。
製剤が「生き物」だからこその実用化への難しさ
今後、対象となる疾患の拡大やそれに比例したビジネスチャンスの拡大を期待できる再生医療だが、ますますの発展が予想される一方で、いくつかの課題がある。その1つが「実用化の壁」だ。
荻田氏は、「従来の医薬品製造と異なり、再生医療の多くはアカデミアへの依存度が高い」と指摘する。
「再生医療を端的に説明すると、『細胞やウイルスを薬として用いる治療法』です。そのため、大学の研究室で行われる細胞やウイルスを使った再生医療の実験手順は、医薬品の開発・製造そのものになります。
一般的に製薬企業で医薬品を製造する際は実用化を見据えて開発されますが、大学の研究室では研究用の試薬や設備が使われており、実用化と地続きではないケースが多いんです。その結果、実用化までに時間を要してしまったり、研究室ではうまくいったのに生産のフェーズに乗せた瞬間にうまくいかなくなったりすることが少なくありません」(荻田氏)
再生医療では希少疾患や難病に対する個別最適化を目指すことが多いために、製造プロセスを標準化する難しさを抱えてしまうというわけだ。加えて星野氏は、再生医療の原料の取り扱いにデリケートにならざるをえない点も、実用化の壁として挙げる。
「製剤となる細胞やウイルス自体が『生き物』なので扱いが難しく、温度や湿度などの外的環境が与える影響も考慮しなければいけません。大学の研究室で1人の患者さんに向けた薬を作れたとしても、商用化を見据えたときには、同じ薬を数多くの患者さんに届けるために、誰がどこでやっても規格内の薬が出来上がるようにすることが非常に重要です。そのためには、しかるべき設備や環境を整える必要があります」(星野氏)
さまざまな関係者に再生医療の理解を深める「場」を提供
こうした研究と実用化の間にある壁を打破するべく動いたのがサーモフィッシャーだ。サーモフィッシャーは2022年10月、再生医療関連機器を試せる施設として「再生医療クリエイティブ・エクスペリエンス・ラボ」(通称T-CEL:Thermo Fisher Scientific Creative Experience Lab for regenerative medicine)を、東京都港区にあるオフィス内に開設した。
サーモフィッシャーは分析機器や医療機器、研究用試薬などを手がけるサプライヤーとして、再生医療の研究開発から細胞培養、分析、製造までの一連のプロセスに対してワンストップでソリューションを提供できることを強みとしている。T-CELにはサーモフィッシャーが持つ研究開発から製造までに必要な製品・サービスを揃えている。
シンプルな製造工程を念頭に設計したラボは、実際に機器のデモンストレーションを行うこともできる。また、再生医療市場の各プレーヤー間のコミュニケーションを加速させるためラウンジスペースを用意し、今後はイベントなども開催していく方針だ。
「T-CELはアカデミアの研究者から製造企業まで、さまざまな方々に来ていただく場にしていきたいと考えています。その中で、例えばセミナーなどのイベントを通じてアカデミアの先生方や製薬企業の方が対話をしていただくことでお互いのギャップに気づく、ということがあるかもしれません。そうすることが実用化を見据えたときの課題の克服にもつながるのではないでしょうか。
また、T-CELには再生医療の推進に関わる行政の方や市場に投資するベンチャーキャピタル(VC)の担当者の方々にもお越しいただきたいです。そういった方々にも、T-CELを通じて情報提供し、理解を深めていただくことにより、最終的には業界全体での議論が活性化され、ひいては再生医療における日本の競争力向上につながることを期待しています」(荻田氏)
難病に対する新たな治療法として期待のかかる再生医療。その新薬を少しでも早く患者に届けるためには、研究開発から上市までをスムーズにつなぐことが重要だ。その一連のフローを網羅した幅広いソリューションを提供するとともに、ゆくゆくは関係者間の連携を促していきたいというサーモフィッシャーに対する市場の期待は大きいだろう。開田氏も熱を込めて語る。
「再生医療の実用化は海外が先行している状況にありますが、日本でも素晴らしいシーズの開発がアカデミアを中心に進んでおり、それを少しでも早く世の中に出せるようお手伝いしていきたいです。それはすなわち、当社のミッションである『私たちの住む世界を、より健康で、より清潔、より安全な場所にするために』を実現することにほかなりません。それが日本の再生医療市場が盛り上がっていくことにもつながると考えており、今回オープンしたT-CELが再生医療に携わる方々の役に立てれば幸いです」