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経済政策をめぐる用語の混乱 「成長」=「小さな政府」というひも付けが希薄に

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もりた・ちょうたろう 慶応義塾大学経済学部卒業。日興リサーチセンター、日興ソロモン・スミス・バーニー証券、ドイツ証券、バークレイズ証券を経て2013年8月から現職。日本国債市場での経験は通算で20年超。グローバルな経済、財政政策の分析などマクロ的アプローチに特色。(撮影:大澤 誠)

岸田政権による大型経済対策が発表されたが、キーワードは「分配」と「新しい資本主義」である。

今回の経済対策に対するメディアや識者の評価はやや辛口であり、アベノミクスのキーワード「3本の矢」などと比較すると物足りないとの声が聞かれる。要するに、「分配だけでは駄目」、「成長志向が足りない」というわけである。しかし、最近の経済政策をめぐるキーワードには、用法の混乱があるように思える。

「分配」の対立概念が「成長」であるとされる。従来は、「成長」を実現するためには「規制緩和」などで経済活動の自由度を高めることが重要で、それは突き詰めると「小さな政府」になるという考え方があった。その考え方自体が正しいかどうかは別にして、ある時代まで日本でも一定の支持があった。

逆に「分配」とは、「守旧」、「規制維持」の考え方であり、最終的には「大きな政府」につながる。しかし、昨今の政治一般の議論では、「成長」のためにはまず「財政拡張」を行うことが必要だという主張が、当たり前のごとくされるようになっている。「成長」=「小さな政府」というひも付けが希薄になっているのである。

最近では、「成長」とは単純にGDP(国内総生産)成長率の数値を引き上げることを指すようになっていると思われる。財政拡張や金融緩和などの「マクロ政策」によって1、2年でもそれを実現すれば「成長志向」であるという考え方が広く流布するようになってきている。

本来、「成長」という用語は、経済のトレンドなり、方向性を示す言葉として使われていたはずである。「高成長国」とは、他国よりも高い成長を「続けている」国のことであり、「高度成長」とは2桁成長が10年以上も「続く」状態を指す。1、2年程度GDP成長率が高まることをもって「成長」とは本来いわない。

アベノミクスがきっかけ

「成長」という用語をめぐる混乱はアベノミクスから始まっている。「成長」を財政拡張や金融緩和によって実現しようとしたのがアベノミクスであった。しかし、財政拡張や金融緩和は、後世代の負担で現在の消費や投資を一時的に増やすもので、いわば世代間での分配政策である(金融緩和についてはそのようには解釈しないことも多いが)。つまり、アベノミクスによって、「分配」と「成長」が渾然一体となってしまったのである。

「分配」を財政赤字(すなわち後世代負担)によって実施するという意味で、実は岸田政権の経済政策も現状では本質的にアベノミクスとの差異はあまりない。この用法の混乱があったがゆえに、岸田政権が「分配」を行うと言った途端、「従来は実現できていた成長と分配の両立」ができなくなる、つまり「成長を犠牲にした分配」だという論調になっているわけである。

国民に経済政策の本質的な中身を正確に伝えることに政治家がどれほどのプライオリティーを置いているのかは疑問である。

しかし、もしそれを試みるのであれば、本来的な意味での「成長」政策とは、規制緩和などによる既得権益の修正を伴い、国民の一部には負担を強いるものだということを言わなくてはならない。日本においては、長きにわたり、本来的な意味での「成長」政策が採られたことはなかったのだということも伝えたうえで、改めて「分配」か「成長」かの選択を問うべきではないか。

まずは、メディアや識者、そして市場も、経済政策に関わる用語の正しい使用法に立ち戻るべきであろう。

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