三菱の歴史は、明治維新後の日本の発展とともにあった。源流の九十九(つくも)商会が海運業を始めたのは1870(明治3)年。初めは物流や貿易が中心だったが、保険、鉱山、金融、造船といった周辺の事業へ次々と進出。三井や住友と肩を並べる大財閥の一角として頭角を現した。現在の三菱重工の事業につながる造船業を始めたのは、84年に政府から長崎造船所を借り受けたことがきっかけだ。
第2次世界大戦につながる日本の軍事大国化の過程でも大きな役割を果たし、三菱重工は戦艦「武蔵」の建造や戦闘機「零戦」の開発にも携わった。結果、戦後は軍需産業の消滅と、GHQ(連合国軍総司令部)による財閥解体といった苦境に立たされることとなる。1950年には三菱重工は3社に分割。64年に再統合されるまで、分裂の憂き目をみた。
「御三家長男」の存在感
三菱本社が消滅しても、商事、銀行と並ぶ「御三家長男」である三菱重工は、グループの代表格として存在感を示し続けた。
再統合後の三菱重工の発展も、日本経済の成長とともにある。例えば、電力需要の高まりやオイルショックなどによって、高出力・高効率の発電設備が求められると、欧米企業のガスタービンやボイラーにおける技術を積極的に吸収。大規模発電所の主要設備を次々と手がけた。国策として進められた原子力発電でも、加圧水型軽水炉(PWR)の建設を担うなど、中心的な役割を果たした。
この記事は有料会員限定です
残り 558文字
