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フクシマは何も終わっていない 原発事故と闘った10年|インタビュー/元福島県南相馬市長 桜井勝延

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さくらい・かつのぶ 1956年福島県生まれ。岩手大学農学部卒業、地元で稲作や酪農に携わり、2003年原町市議会議員当選。南相馬市議会議員を経て10年南相馬市長当選(2期)。脱原発をめざす首長会議世話人。
震災時、津波被害や原発事故への対応の指揮を執り、2年前までその“処理”に当たってきた桜井勝延・元福島県南相馬市長に震災10年目の現実を聞いた。

──震災当時、桜井さんは。

2011年3月11日、午前中に中学校の卒業式で(市長として)祝辞を述べ、午後から一般質問に臨んだ。2人目の質問の途中で激震が襲った。それがすべての始まりだった。あれから10年経ったが、現場の人間には10年も20年も関係ない。死んだ人間が生き返るわけではないし、状況が急に改善されるわけでもない。

市内には(原発から20キロメートル圏内の)小高区のように財物賠償から精神的損害賠償、逸失利益まで認められる地域と、精神的賠償しか認められない地域が生まれた。国によって複雑な状況がつくり出された。南相馬市の登録人口は震災前から1万人減って6万人弱。そのうち4400人以上がまだ避難中だ。生活や商売の拠点を移し、そこでの暮らしが長くなると、戻りたくても戻れない現実も生じる。

市民アンケートでは、汚染された地域に戻りたくない、健康被害が心配、1F(福島第一原発)が近くにあるだけで安心できないと、半分以上が放射能、原発への不安を訴えている。ここで子育てはできないという声も圧倒的に多い。

──現状では無理もないですね。

事故後、当時の細野豪志環境相は、除染に伴う廃棄物は3年で市町村の仮置き場から中間貯蔵施設へ撤去、30年後に県外で最終処分すると約束したが、今でも仮置き場に運び込んでいる。除染が始まったばかりの所もある。

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