「物言う株主」という言葉が広く使われるようになったのは2000年以降だ。通商産業省(当時。現経済産業省)OBの村上世彰氏が率いる、村上ファンドの登場がきっかけだった。
同ファンドによる日本初の敵対的TOBは失敗に終わったが、「株主の利益を尊重し、資本効率を高めるべきだ」といった正論を声高に唱え、プロクシーファイト(株主総会での委任状争奪戦)も辞さない村上氏に、日本の多くの経営者は震え上がった。
もっとも、それ以前から日本にも経営陣に敵対的な株主は存在していた。戦前では、「強盗慶太」と呼ばれた五島慶太氏(東急電鉄の事実上の創業者)らが有名だ。戦後も白木屋乗っ取り事件、1980年代後半の小糸製作所株買い占め事件などが起きている。
日本的経営が失墜
新たなミレニアムに入って、物言う株主が目立つようになったのはなぜか。まず、広く資金を集めて株式などで運用するファンドが投資家の主役になった。資金の出し手は高い運用パフォーマンスを求めるため、その圧力にさらされるファンドは、表舞台で株主の権利を主張し始めたのだ。

バブル崩壊から約10年、メインバンク制と従業員、経営者を重視した日本的経営の弱体化も背景にある。日本企業に勢いがあった80年代は株価も上昇し、取り立てて株主を意識する必要はなかった。90年代に経済低迷が続いても、経営者の意識はなかなか変わらなかった。
しかし、日本企業の低迷が長引くのとは対照的に、株主至上主義を掲げる米国企業が躍進するようになる。日本でも株主の権利を重視すべきだという意識が高まっていった。
そうした時期に現れた村上ファンドや米スティール・パートナーズが勢いを増していった。だがその動きが止まった。06年、ライブドアによるニッポン放送株の大量取得に関連して、村上氏がインサイダー取引の容疑で逮捕されたからだ(後に有罪判決)。
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