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REITの立ち上げに奔走、最後の難関は東証 岩沙弘道 その3(全5回)

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いわさ・ひろみち●1942年生まれ。67年慶応義塾大学大学院修了後、三井不動産入社。95年取締役、97年専務取締役、98年代表取締役社長、2011年会長。(撮影:梅谷秀司)

日本の市場もグローバルスタンダードに則した改革が必要だ。米国で大いに刺激を受けた私は帰国後すぐに動き出した。

不動産は売り手一色で、買い手が一向につかなかった時代だ。取引額が大きい不動産を現物で売買しあうままでは流動性は高まらない。米国で普及している、不動産を証券化する仕組みを導入するべきだ、と各方面に説いて回り、2000年にSPC(資産流動化)法および投資信託法が改正され、日本においても不動産証券化の道が開かれた。

次に行ったのは日本版REIT(不動産投資信託)の立ち上げだった。REITの存在自体は以前から知っていたが、これも訪米中に理解を深めた。市場から直接資金を調達するREITが普及すれば、開発案件の売却先の選択肢が広がり、物件の流動性が高まることによってビジネスチャンスが格段に広がる。これをなんとしても立ち上げたい。しかし当社だけでは市場は作れないから、三菱地所の髙木茂社長に相談した。すると髙木さんも、同じような関心を持たれていたとわかり、意気投合した。

当時の財務相は宮澤喜一さん、金融再生担当相は柳澤伯夫さんだった。お二人とも金融のプロフェッショナルで、不動産と金融が融合している海外の事例にもすぐに理解を示してくれた。一方で、「徹底的に情報開示と説明責任を求められるぞ、大変だけどやれるのか」とくぎを刺された。私は「やれます」と答えたのだが、想像以上に大変だと後になって身にしみた。

最後の難関になったのは東京証券取引所だった。当時の東証はベンチャー企業を割と積極的に受け入れるスタンスであったのに、こと不動産投資信託に関しては「何でそれが証券なのか」「利益相反は大丈夫なのか」と、慎重な姿勢を崩さなかった。最終的には、まず始めることが大事だと何とかご理解をいただき、01年に当社の日本ビルファンド投資法人と、三菱地所のジャパンリアルエステイト投資法人の2銘柄が東証に上場することになった。

当時のREITの時価総額は2銘柄合計で2200億円程度だったものが、現在では約13兆円の規模になった。非上場REITを合わせると20兆円近い資産規模である。今では日本は米国に次いで世界2位のREIT大国になった。当時とは隔世の感があり、ここまで市場が成長したことは感慨深い。

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