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教育機会の提供は日本統治時代の功績 植民地・台湾と日本の教育者

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先日ある知識層の台湾人と話をしていると、「やはり日本統治時代はすばらしかった」と話すので、少々驚いた。

驚き紛れに当方が反論してしまった。日本は植民地として台湾を統治して、そこから収益を上げるためにさまざまな政策を実施したのであって、決して台湾人のためにしたわけではない。今、インフラなどが残っているのは結果にすぎないのではないか、というのが反論のポイントだ。

すると彼は、自分もずっとそう思っていたと言いつつ、昨年亡くなった父親(享年85)の話を始めた。父親は成績がよく、家も比較的裕福だったので、日本人の子どもと同じ小学校に通っていたという。「オヤジはね、日本人の先生は厳しかった、竹の棒で何度もたたかれたと言いながらも、一度もその先生の悪口を言わなかった」と、子どもの頃に聞かされた話をしてくれた。

終戦後、彼が父親と過ごしていた間、父親が日本語をしゃべるところなど見たこともなかったらしい。それが亡くなる1週間前、すでに昏睡状態で会話もままならない中で、突然日本語を話しだしたというから家族も驚いた。小学校唱歌まで歌いだし、家族の誰にも意味がわからない言葉を発しながら、静かに息を引き取ったという。

人の潜在意識というものについてはよくわからないが、彼もこのとき突然、子どもの頃に一度だけ聞いた父親の話を思い出したという。「戦時中の配給は日本人家庭のほうが台湾人より多かった。でも日本人の母親たちと先生は、子どもは平等だと言って、配給の日に余計にもらった食材で料理を作ってくれ、皆で分けて食べたんだ。それはうまかったし、うれしかったよ」。

劣化する日本の教育者

日本が台湾に残したのは、ダムや灌漑(かんがい)などのインフラ、コメや砂糖などの農業技術だけではなかったのだ。最も重要だったのは清朝時代にはなかった教育の機会が与えられたことだった。その中で子どもたちが希望に燃えた先生たちに教育されたことが、当時の台湾にとってどれだけ大事だったかを、自分の父親の最期の姿を見て知ったと彼は涙を流した。

李登輝元総統が「自分は22歳まで日本人だった」と言っているが、台湾で今生きる日本統治時代に生まれた人々には多かれ少なかれ、その気持ちがあるようだ。

その日本では今、教育が軽視されている、いや教育者の資格のない者が教育の現場にいると思われる事例が続出している。

大学のスポーツ指導者がパワハラ問題で糾弾され、中学校が生徒の悲痛な叫びを隠蔽する。もちろん昔からよい教師も悪い教師もいたとは思うが、これでは国づくりの土台は揺らぎ、倒れかねないのではと危惧している。

(東えびす)

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