異分野の「知」で、日本の農業は成長できるのか 農林水産省が進める産学官連携の取り組み
「非連続的な変化」は農業にも起きている
「こんなに味の濃いものを食べたのは久しぶりです」
メロンを手に満面の笑みでそう語るのは、島根大学医学部附属病院の透析患者。腎臓機能が低下した患者は、メロンなど高カリウムの食品を食べることができない。では、この患者が手にしているものが何かといえば、普通のメロンではなく、産学官のノウハウを結集させた低カリウム「しまね夢メロン」。農林水産省が設立した、『「知」の集積と活用の場』の成果の1つだ。
地球温暖化や生産者の高齢化、あるいは多様化する消費者ニーズなど農業を取り巻く環境は大きく変化しており、直面する課題や必要となる技術も以前とは様変わりしている。
これらの課題を解決していくためには既存の枠組みを超え、オープンイノベーションを促進していく必要がある。農林水産省の齊賀大昌産学連携室長は次のように説明する。
「これまで農業における品種改良とは、主に作物をおいしく育てやすくするためでしたが、地球温暖化が進むと気候変動に対応するための品種改良が必要になります。また、高齢化する生産現場では機械化が急務ですが、例えばキャベツを機械できれいに収穫するにはAIによる識別が必要です。つまり現在は今までとはベクトルの異なる研究開発や、従来の農業技術の延長線上にない技術が必要な局面にきているのです。そこでさまざまな分野の知恵をお借りしながら大量かつスピーディーにイノベーションを起こす、農林水産分野だけに閉じないオープンイノベーションの場として『「知」の集積と活用の場』を設立しました」
場づくりに当たって参考にしたのが、海外先行事例だ。日本の九州地方とほぼ同じ面積でありながら、農産物の輸出額で米国に次ぐ世界第2位であるオランダのフードバレーをはじめ、いくつかの国では研究機関や民間企業などを集めた産学連携拠点を設け、イノベーションが起こりやすい環境を整備し、それぞれ成果を上げている。
それらの事例は多様な分野の人々が集う場づくりだけにとどまらず、マッチングのコーディネートや技術移転、起業支援といった機能まで保持しているのが特徴だ。こうした事例を参考にしつつ、2016年4月から『「知」の集積と活用の場』の取り組みはスタートした。
コンセプトは人、情報(場)、資金の3つをオープンにすることで、多様な参加者による協創を促進し、農林水産・食品分野と異分野の融合を図り競争力を強化し、国民が真に豊かさを実感できる社会の構築と世界に向けて貢献できる場づくりとしている。
これを実現するため、『「知」の集積と活用の場』は以下の三層構造で構成されている。
①生産者や民間企業、大学をはじめとする研究機関や自治体が集まり、セミナーやワークショップなどによる会員間の交流を通じ、シーズとニーズのマッチングを促進する「産学官連携協議会」
②協議会の会員同士が問題を共有して既存の研究開発の枠組みを超えた共同体を形成し、それぞれが持つ「知」を生かして商品化、事業化に向けた研究戦略を策定し、マネジメントする「研究開発プラットフォーム」
③研究開発プラットフォームの戦略に基づき、専門的技術やアイデアを持つメンバーで構成し、問題の解決やイノベーション創出のための革新的な研究開発を行う「研究コンソーシアム」
イノベーションのカギを握るのは、多様な参加者が集まる研究開発プラットフォームの取りまとめ役を担うプロデューサー人材だ。
「プロデューサー人材の役割は大きく2つあります。1つはプラットフォーム内でのメンバー間交流や情報共有を活性化すること。もう1つは研究成果を活用し、資金調達や商流の構築まで含めビジネスモデルを構想し、研究開発プラットフォーム内で合意形成を図りながら実行していくことです。とくに研究者の要望を受け入れるだけでなく、大局的な見地から自分たちの強みを見極めて、取り組むべき研究開発に取り組んでいくリーダーシップの発揮が重要と考えています」(齊賀室長、以下同)
産学官連携協議会の会員数は法人、研究者等の個人を合わせて4147会員。研究開発プラットフォームは175プラットフォーム(いずれも22年1月時点)が形成され、20年度までに365の研究コンソーシアムが研究に取り組んでいる。
また、海外市場への展開促進のため『「知」の集積と活用の場』の周知活動を展開し、アジア・大洋州と欧州を中心に62の駐日大使館が入会(令和4年1月24日時点)。海外への技術紹介セミナーや各国大使館との共催イベントなどが実施されている。
あとはいかにビジネス展開、社会実装につなげるか
研究開発プラットフォーム、および研究コンソーシアムからは商品化、事業化に結び付く成果が生み出されている。
冒頭で紹介した低カリウムメロンは、島根大学を中心として地域企業であるさんわファクトリー、関西電力などが参画する「植物工場高機能化研究開発プラットフォーム」が開発したもの。養液栽培による高付加価値作物の生産に取り組み、低カリウムメロンの研究開発と商品化に成功した。従来のメロンに比べ、カリウム成分量を約40%低減させることを実現し、カリウム摂取制限のある人でも食べられるようになった。販路を広げながら、アイスやシャーベットなどの商品開発が行われている。
こうした地域に根差した研究開発や事業化がある一方で、大企業が中心となった大がかりな研究開発プラットフォームの活動も行われている。
国内の第1次産業の生産効率化や海外収益の拡大、新ビジネスの創出などを推進する「Sociey5.0におけるファームコンプレックス研究開発プラットフォーム」から生まれた「アジアモンスーンPFSコンソーシアム」では、高温多湿地域でも本州など日本の温帯地域と同様に日本品種の野菜を安定的かつ低価格で生産する「アジアモンスーンモデル植物工場システム」の開発に取り組んだ。
同コンソーシアムには三菱ケミカルをはじめパナソニック、富士フイルムなど6民間企業と3つの公的研究機関、4大学が参画。それぞれが持つICT・AI技術や素材技術、栽培技術などを組み合わせ、アジアの気候に合い、かつ初期投資を抑えられる植物工場システムを開発し、国内外への普及促進に力を入れている。
「知」の集積と活用の場は2021年4月からの5年間を第2期と位置づけ、それまでの第1期で見えてきた成果と課題を踏まえ、新たな活動方針を策定した。
「4000を超える会員を迎え、オープンイノベーションを目的とした産学官連携の取り組みとしては日本有数の規模になり、会員が活発に意見交換するだけでも大きなエネルギーが生まれると実感しています。また、実際に多くの研究コンソーシアムが動いており、われわれが想像していた以上に研究開発へ熱心に取り組んでいただいています。一方で見えてきた課題は研究成果をビジネスに展開し、社会実装につなげていく部分です。われわれとしては事業化に強い意欲を持つ研究開発プラットフォームを後押ししてベストプラクティスをつくり、発信していくほか、成功事例もうまくいかなかった事例も蓄積して会員と共有することで、さらなる社会実装の支援をしたいと考えています。そのためにもさらなる企業やビジネスパーソンの参画を期待しています」
農林水産分野でのイノベーションは生産者だけでなく一般消費者が直接恩恵を受けることも多い。さらなる活動の加速が望まれる。