「わからないから、面白い」生物学研究の真価 がんや感染症に光明、女性研究者が追う未来
感染症のかかりやすさにも「糖鎖」が影響
――「糖鎖」は、一般には聞き慣れない言葉です。そもそもどんなものなのでしょうか。
西原 細胞の表面に付いていて、細胞間の情報伝達や相互作用などを担っているものです。細胞によってまったく違う糖鎖が付くため、“細胞の顔”と呼ばれることもあります。単独で存在することは少なく、タンパク質や脂質に結合していることが多いです。よく知られているものでいえば、ABO式血液型も糖鎖の一種です。赤血球に付いた糖の種類や構造の違いが、血液型の違いとして表れるというわけです。糖鎖は、時期によって変化するのも特徴。この性質を利用して、がん治療のマーカーとして使われたりもします。
木下 マーカーとして使われるだけでなく、糖鎖自体に何らかの機能があることも少しずつわかってきました。糖鎖は細胞の表面に結合しているため、ウイルスや微生物が細胞に取りつくときに使われたりします。インフルエンザウイルスも糖鎖に付いて細胞に入りこみます。またウイルスに付きやすい糖鎖とそうでない糖鎖があって、例えばノロウイルスが付きやすい糖鎖を持つ人はノロウイルスにかかりやすい。人によって違いが出るのは、そういうわけなんです。新型コロナウイルスも、感染のしやすさに糖鎖が関わっている可能性が指摘されています。
――お2人は、なぜ糖鎖研究の道に?
西原 私はもともと化学の出身です。ただ大学院を出た当時、化学はすでに研究が進んでいたので、新しいことを始めるのがとても難しい領域でした。簡単な化合物はもはや一通り合成されていましたし、新しい天然物も海の底や山の奥にまで行かないと見つからなかった。一方、生命科学、とくに糖鎖についてはまだわからないことだらけで、何をやっても新しくなる。それが面白いと思って、異世界だった生物学に飛び込みました。
木下 わからないということは、つまり面白さでもありますよね。
西原 はい。とくに興味があるのは、糖鎖の機能です。糖鎖研究では、約200ある糖転移酵素の中から1種類を選んで深掘りするやり方が主流でしたが、私は「機能ありき」で、網羅的な機能スクリーニングをしています。2002年からショウジョウバエを使ってこの研究を始め、08年には「ES細胞の維持に糖鎖が関与する」ことを初めて明らかにしました。機能という観点から糖鎖を研究しているのは、創価大学の特徴です。
糖鎖は「ほぼすべての領域」と融合できる
木下 私はもともと情報分野の出身で、京都大学のバイオインフォマティクスセンターに勤めていた頃、初めて糖鎖と出合いました。当時、糖鎖は情報化がほとんど進んでおらず、これこそ新しく開拓できる分野だと思いました。
西原 糖鎖にインフォマティクスの知見を取り入れたのは、木下先生の功績です。
木下 具体的には、インフォマティクスの技術を使って糖鎖のデータベースを作っています。糖鎖はDNAやタンパク質のような線形文字列ではなく、分岐する構造を持っているため、データベースに整えるのは難しいんです。また世界には既存のデータベースが複数ありますが、これらに共通の識別番号が振られていないため、糖鎖の検索に手間がかかっていました。そこで2020年には、私が代表を務める研究グループで、糖鎖に関係する遺伝子、タンパク質、脂質、がんなどさまざまなデータを統合した、世界初の糖鎖科学ポータルを作りました。現在は世界中の糖鎖生物学者に利用されています。
――日本が糖鎖研究をリードする中でも、創価大学が存在感を発揮しているのはなぜでしょうか。
西原 創価大学の生命科学研究所には、もともと糖転移酵素の遺伝子を世界で初めて取り出した教授がいて、先端的な研究のベースがありました。私もそこに魅力を感じて、創価大学に来たんです。網羅的な糖鎖研究が行われていたところに、さらに木下先生をリクルートして入っていただき、情報分野との融合が進みました。ほかにも糖鎖のバイオロジーに興味を持っている教授が集まり、それぞれが専門性を発揮して、独自の色を持つ研究所になりました。2019年に「糖鎖⽣命システム融合センター」ができ、今年1月にはさらにパワーアップして「糖鎖生命システム融合研究所」に改組されています。
木下 西原先生が指摘されたように、「融合」がポイントです。糖鎖はタンパク質が存在するところならどの領域ともつながるし、私のような情報系とも融合できます。創価大学は2030年に向けた新グランドデザイン「Soka University Grand Design 2021-2030」の中で「価値創造を実践する『世界市民』を育む大学」を掲げています。新しい価値は、多様性のある人たちがさまざまな方向性からフュージョンすることで生まれます。そうした研究環境があるから、創価大学はさまざまな実績を残すことができるんだと思います。
若い人は「多様性のある環境」に身を置くことが大事
西原 創価大学理工学部は、講座制でないことも魅力でしょうね。若い研究者が独立して、のびのびと研究できる。木下先生も、自由に羽ばたいて研究されています。
木下 はい。私も、国内外の研究機関とも連携して、好きに飛び回って研究させていただいています。昨年、文部科学省が策定したロードマップ2020に、「ヒューマングライコームプロジェクト」が採択されました。これは本学のほか、東海国立大学機構などいくつかの大学との共同プロジェクトです。糖鎖研究を大きく前進させるでしょう。
――最後に、学生や受験生にメッセージをお願いいたします。
西原 若い人には、何にでも広く興味を持ってほしいですね。最初はそれぞれがばらばらで関係性が見えないと感じるかもしれませんが、自分の感性を信じて学んでいけば、いずれそれらがつながる瞬間がやってきます。最近は研究の世界も領域が多様化していますが、領域を超えてつながったところから、新しいものが生まれています。「こうでなければいけない」と決めつけず、柔軟な心で学んでほしいと思います。
木下 領域を超えるという意味では、バックグラウンドが異なる人たちがたくさん集まる環境に身を置いてほしいですね。創価大学は留学生が多く、異文化に触れる機会に恵まれているし、学問分野間の交流もすごく活発です。そういった機会を通して身に付く相互理解の姿勢は、研究だけでなく、みなさんの人生をも豊かにしてくれるはずです。