現代人が「渋沢栄一」に学ぶべき哲学のすべて 大河ドラマで改めて注目される「埼玉県の偉人」
近代日本経済の父が語った「合本主義」の中身
大野 「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一ですが、実は、資本主義という言葉は使っていなかったそうですね。
渋澤 そうなんです。栄一は「合本主義」という言葉を使っていました。若い頃の彼は、一生懸命働く民衆から御用金を取り立てる幕府に憤りを感じ、尊皇攘夷思想を強めていました。しかし徳川慶喜の弟・昭武のお供として訪れたフランスで、近代的な文明や経済に触れて、国の繁栄のあり方に目が開いたのです。もともと武家ではなく農商の出身だったので、民の可能性に敏感だったんでしょう。
大野 生家は現在の埼玉県深谷市で、農業と藍玉の製造・販売などを手がけていたんですよね。
渋澤 ええ。そのため、子どもの頃から「価値とは何か」に敏感だったようです。栄一の言う合本主義とは、大勢から資本を募り、利益を出資者たちが分かち合うというもの。栄一は日本初の銀行・第一国立銀行を設立しましたが、それを「一つひとつの滴が集まってできた川のようなもの」と表現しています。栄一にとって合本主義は少数の巨万な富を得るためにあるのではなく、今日よりよい明日を共につくる共助・共創のためにありました。ですから、女子教育や社会福祉施設の設立など、社会事業も積極的に行っていました。
大野 そうした考え方は、現在のSDGsやESG投資、ステークホルダー資本主義にも通じますね。
リーダーこそ「知情意」を備えた、完き人であれ
渋澤 栄一はいつも現状に満足せず、「もっといい国になれるはずだ」という思いを抱いていたようです。実際、『論語と算盤』を読むと、栄一の「すべてを国や行政に任せるのではなく、経営者、国民一人ひとりが勇気を持って世づくりに参画しなければ、悔やむことが起こるかもしれない」のような考えが伝わってきます。
大野 日本のこれからを示唆していますよね。私も『論語と算盤』を読みましたが、栄一翁の哲学は現代のビジネスパーソン、とくに経営者にとっても参考になると感じました。
渋澤 栄一の教えに、「知情意」というものがあります。これは「知識だけではなく情熱や情愛を備え、流されない意志を持った完き(まったき)人であれ」ということ。ゼロから1を生み出せる、とがったリーダーも必要ですが、事業を長く続けて発展し続けるには、バランス感覚を備えた「完き人」が欠かせません。
大野 今のお話で思い出したのが、栄一翁と同じ時代に生きた福沢諭吉の言葉です。彼が慶應義塾の講義で、武士の気風について述べた「出来難(いできがた)き事を好んでこれを勤(つと)むるの心」という言葉があります(※1)。福沢諭吉は何も、「無謀なチャレンジをしろ」と勧めたわけではありません。緒方洪庵の適塾で蘭学を学んだ福沢諭吉は「国を豊かにするには、一生懸命勉強して実業を行う人が必要だ」と学生に話したわけです。まさに、栄一翁の言う「完き人になれ」と言いたかったのでしょう。
栄一がもたらした経済と倫理観の両立
渋澤 知事は、中東地域の研究がご専門だそうですね。
大野 はい。株式会社の歴史をさかのぼると、イスラム世界の「ムシャーラカ・ムダーラバ」という契約形態にたどり着きます。ムシャーラカは集めるという意味です。もともとイスラム世界では資本家が資本金を出し、商人がラクダで移動しながら物を売って、みんなで富を分け合っていました。このムシャーラカ・ムダーラバがヨーロッパにもたらされて、株式会社となったわけです。ただ、イスラムにあってヨーロッパにはないものがありました。それが「働かず、リスクも取らずに栄えるのは悪だ」という倫理観です。そのためヨーロッパでは、どこまでも富を追求する金融資本主義が発展したわけです。
渋澤 非常に興味深いですね。合本主義とムシャーラカ・ムダーラバには、通じるものがあります。
大野 栄一翁は、資本主義の危うさを感じ取っていたのではないでしょうか。だからこそ、経済と倫理観を両立する大切さを説かれたんだと思います。そのおかげで、日本では競争一辺倒ではない資本主義が根付いたともいえますね。
今のビジネスにこそ通じる渋沢栄一の言葉たち
大野 渋沢さんは昔から、ご家庭で栄一翁のお話を聞いて育ったのですか?
渋澤 私は小学校2年生からアメリカで育ったこともあり、実は栄一についてあまり知らなかったんです。会社を設立したとき、ふとわが家の家訓をひもといてみようと思い調べてみると、「投機の業または道徳上卑しい職に従事すべからず」とあったんです。さらに栄一が残した言葉を読むと、まさに今のことを言っているのではと思うようなことがたくさん書いてあり、より興味を持ちました。
大野 栄一翁の出身地、深谷市にいらしたことはありますか?
渋澤 はい。豊かな畑が広がる風景を見て、「栄一はここで育ったのか」と感慨深い気持ちになりました。
大野 利根川と荒川に挟まれた肥沃な深谷市は、深谷ねぎで全国的に知られています。江戸時代には中山道の深谷宿や中瀬河岸場が置かれ、交通の要所としてさまざまな人と物が行き交う場所でした。そのため知識が集まる場所でもあり、官僚を多く輩出してきたんですよ。
渋澤 利根川の向こうには足利学校がありますし、教養ある文化圏だったんでしょうね。栄一の父・市郎右衛門も教養人でしたし、栄一は従兄弟の尾高惇忠から論語を学んだと聞きます。栄一にとって「山の向こうにはどんな世界が広がっているんだろう」と好奇心を刺激する土地でもあったのでしょう。
大野 地元の人々にとって、栄一翁は今も身近な存在です。生地そばの八基小学校では、1年生から『栄一翁の訓言』を暗唱していますし、高学年になるとゆかりの地で観光ガイドの学習も行っています。
日本を変えた偉人を育んだ埼玉県の風土とこれから
渋澤 栄一が新一万円札の顔に選ばれたのは、埼玉県、とくに深谷市の皆さんのご尽力の結果だと思います。決まったときには、皆さんが心から喜んでくださいました。
大野 渋沢栄一翁(深谷市)、日本初の女性医師・荻野吟子(熊谷市)、江戸時代の盲目の国学者・塙保己一(本庄市)と、埼玉の三偉人はいずれも県北部の出身です。不屈の精神や、忍耐強い人間を育む土地柄なのかもしれません。県北部には、三偉人ゆかりのスポットがたくさんあるので、ぜひ巡っていただけたらと思います。
渋澤 埼玉県は、実際の地理よりもずいぶん広く感じられます。
大野 埼玉は日本の縮図のような県でして、「海以外は全部ある」と胸を張っています。製造業も盛んですし、最近の注目は日本酒です。埼玉には35の蔵元があり(※2)、清酒の出荷量は全国上位。酒どころでは、有名な杜氏が酒蔵を回って酒を造るのが一般的ですが、埼玉では酒蔵の後継者自ら杜氏を務める蔵元が増えています。そのため、同じエリアでも蔵元ごとに表情の異なるお酒が楽しめます。
渋澤 巡りがいがありそうですね。
大野 2021年は、埼玉県が誕生して150周年の節目。その年に渋沢栄一翁が主人公となる大河ドラマが始まるのはうれしいことで、埼玉の魅力をさらに発信できればと思っています。今、DXやテレワークの浸透をはじめ、ビジネスの現場は大きな変化を迎えています。誰もが手探りで進む中、渋沢栄一翁とその価値観はいい手本になるはず。
渋澤 日本は、昭和の大量生産と、平成の“made in Japan”、“made by Japan”で成功してきました。しかし、これから必要なのは“made with Japan”という考え方。人口減少が進んでも、日本が世界から求められる国になればなるほど、これが重要になってくるでしょう。同じように“made with Saitama”という考え方が大切なのかもしれませんね。
大野 本当にそう思います。栄一翁の哲学を生かして、さらなる発展を目指していきます。