三菱グループ、高校生らに100億円助成の狙い 岩崎家が遺した「所期奉公」が紡ぎ出す未来
「浮きこぼれ」の子の能力を引き出す
――10年で100億円の助成はインパクトがあります。「三菱みらい育成財団」設立の目的や経緯を教えてください。
平野 三菱グループは創業者である岩崎彌太郎が起業してから今年で150周年を迎えます。150周年に向けて、金曜会※1の仲間たちとは数年前から記念事業について何度も議論を重ねてきましたが、三菱グループの共有理念である「三綱領※2」の一つ、“所期奉公”の考え方を踏まえ、教育を通じた社会貢献事業に取り組もうということになりました。
グローバル化やデジタル化の進展、さらに米中の対立など世界は激動の時代にあり、これまでの既成概念では対応できない課題が山積しています。 例えば地球温暖化といったときにエネルギー問題をどう考えればいいのか。また、SDGsの一丁目一番地は貧困の撲滅ですが、グローバル化とその問題がどう結び付くのか。こうした正解のない課題に立ち向かっていく人材を育成することが重要だと考え、教育分野に取り組むことにしたのです。
対象の年齢は、高校生から大学1~2年生です。感受性が豊かで、柔軟性のあるこの時期に、自らの意志で考え、行動する力を身に付けること、人格形成に影響を与えるこの時期の教育が最も大事であると考えたからです。 とくに高校は、大学の予備校化している現状があります。そうではなく、もっと能動的に、創造力を豊かに、生徒たちの個性を伸ばしていける教育に変えていくことが必要であると考えています。
10年に区切ったのは、アウトカムを出すためです。結果を出すには、ビジョンを持って計画を立てるという構造がいい。これは私たち自身にプレッシャーをかける意味もあります。一方、100億円という額に関しては、それなりのインパクトのある事業をやりたいという思いがありました。十分な額かどうかはやってみないとわかりませんが、10年後に日本の教育のあり方やシステムが変わったというところまで持っていきたいですね。
坂東 日本の教育制度は、誰一人取りこぼさずに全体を底上げする形で進められてきました。ついていけない子どもたちにスポットを当て国もケアをしてきました。ただ、その一方、能力が突出している「浮きこぼれ」 の子どもたちは忘れられがちでした。こうした層の子どもたちの能力を引き出して育てていくのは、民間のほうが得意かもしれません。
得意といっても、小さな事業ではできることが限られます。三菱グループが100億円という額を拠出して、人材育成の新しい試みをすることは、とてもすばらしいこと。事業を10年で区切って、3年ごとにプロジェクトの成果を見るという助成のスタイルも、国の補助金の運営の仕方と違ってスピード感があります。
平野 初年度の助成プログラムは大きく分けて2つです。1つは、自ら目標とする生き方を考え、見い出し、その目標に向けて歩み続ける原動力を習得する 「心のエンジンを駆動させるプログラム」です。プログラムに参加する高校生たちには、自発的、能動的に、それぞれが個性を発揮して、ワクワクできる学びの機会をインタラクティブな形で提供します。従来行われていた一方的、受動的、定型的な教育に対するアンチテーゼであり、プロアクティブに学べる教育プログラムに助成をします。
「心のエンジンを駆動させるプログラム」はさらに2つに分かれます。1つは高校を助成対象としたプログラム。高校と一口に言っても、普通高校もあれば高専もあるし、特別支援学校もある。また地理的にも東京・大阪・名古屋の大都市圏に偏らずに、日本全国の学校に幅広く声をかけました。もう一つは、株式会社、NPO、大学等の教育事業者が行う、より先進的、特徴的なプログラムです 。学校という枠にとらわれる必要がないため、こちらのほうがユニークなアイデアが出てくるかもしれません。
2つ目は、将来、社会が求める卓越した人材を発掘・育成する、「先端・異能発掘・育成プログラム」です。こちらは、大学や研究機関、NPOなどが対象です。この中から何十年後かにノーベル賞学者が出てくることを期待しています。
初年度は251の応募から66のプログラムが採択され、2万6000人の生徒や学生が参加しました。反響は大きかったと思います。
坂東 主体的に学ぶことの重要性は文科省もわかっていて、新しい学習指導要領でも「主体的・対話的で深い学び」をうたっています。ただ、今までそうした教育をやっていなかった先生たちはどうしていいかわからず、今も手探り状態が続いています。そうした状況において、自らチャレンジしている学校を見つけて応援することができれば、周囲も触発されて広がっていくでしょう。今回の助成事業は、どうしたら新しくユニークな教育をつくることができるのかを試す壮大な現場実験ですよね。
先の見えない時代には総合的な「知」が必要
――2年目以降の活動について教えてください。
平野 やりたいことは3つあります。まず、大学1~2年生を対象により深い教養を身に付けられる機会を提供する 21世紀型の教養教育プログラムの開発に助成をすること。残念ながら受験を乗り越えた後に疲れてのんびりしてしまう学生もいますが、本来この時期は自分の将来を描き、そのために何を学ぶのかを真剣に考えるべきです。それを考えるために必要なのが教養です。
若い人が教養を身に付けることは、私たち実業界にとっても大切です。VUCA※3の時代に満ち溢れる正解のない問い。その問題に立ち向かうには、総合的な「知」 が必要です。
ギリシャ・ローマの時代、人々は奴隷ではなく自由人であるための基礎的な素養としてリベラルアーツを身に付けました。近代に入っても、ヨーロッパの人々は修辞、文法、論理、数学、幾何、天文、音楽をリベラルアーツと呼び、社会を担って未来をつくる人に必要な素養として重視しました。日本の大学も、教養の必要性について強い問題意識を持っています。ただ、深い教養を身につけられるプログラムが提供できているのかというと、現状ではやや疑問符がつく。そこで、より少人数、インタラクティブで、アクティブラーニングに近い形のプログラムを開発していただきたいと考えています。
坂東 私のような古い人間は、若い人たちに「とにかく本を読みなさい」と言ってしまいがちです。ただ、本当に大切なのは、本を読んで得た知識を自分の考えとして腹落ちさせて、使えるようにすることです。使えるというとすぐに役立つ知識を思い浮かべるかもしれませんが、すぐに役に立つ専門知識は、すぐに役に立たなくなります。10年後20年後の基礎になる本当の意味での教養を大学生活の前半でどうやって身に付けてもらうのか。そこは大学にとっても新しいチャレンジですね。
平野 2つ目として、高校の先生を育成するプログラムも検討しています。高校の先生は大学で専門領域を学んで先生になられました。しかし、教え方は学んでいないため、今現場で多くの先生が困っています。
そして3つ目は、プラットフォームの構築です。10年100億円でも、できることには限界があります。そこで、助成プログラムとは別に10年先も機能するインフラをつくっていきます。具体的には、助成事業に採択された方々や採択から漏れた方々が相互交流して、世の中に情報発信する場をつくりたい。現在サイトを準備中で、その他にシンポジウムなどリアルな場の活用も検討しています。そうした場を通して、いい教育プログラムを教育界全体に横展開していきます。
――日本の人材育成について、ご意見を聞かせてください。
平野 変化の激しい時代において、立ち止まることは死を意味しています。生き延びる条件は、ビジネスを絶えずリモデルしていくこと。そのためには社会や消費者が求めているものをくみ取ったり、一歩先を見て自分たちでイノベーションを起こしたりすることが欠かせません。事業運営を担うビジネスパーソンも、思考や行動をより個性的にして、イマジネーションの想像力とクリエーションの創造力を併せ持ち、さらに将来に向けての構想力を磨いていく必要があるでしょう。
坂東 シリコンバレーや深センからは、新しい時代を捉えたベンチャーが数多く生まれています。失敗するベンチャーも多いのですが、彼らは「多産多死」ではなく「多産多転」、つまり失敗したら他の仕事でまたチャレンジをするだけだという。このたくましさは日本も見習いたいところです。
目指すべき成功は、一攫千金でなくてもいいのです。むしろメイク・ザ・チェンジで、社会を変えたとか、困った人を助けたという無形の社会的なドリームを追求してほしい。お金儲けではなく、「世のため人のため」と堂々と言える若者が増えてくれば、日本はもっとよくなります。
平野 最近の若い人はすでに変わり始めています。昨年、アメリカのビジネス・ラウンドテーブル(アメリカの大企業を中心とした経済団体)が「マルチステークホルダーキャピタリズム」を打ち出しました。若い人たちはそうした潮流を先取りする形で、自分は何のために働くのか、その事業は何のためにあるのかとパーパスを問い始めています。これはとてもいい兆候です。
社会貢献の意識にプラスして、既存の考え方にとらわれない創造性やゼロからイチを生み出す力を教育で育むことができれば、日本経済はより高いプレゼンスを発揮できるはずです。