SDGs認知高い日本に「足りない」ものは?(前編) 国際政治の観点からSDGsを読み解く
地球に住む一員として、限りある天然資源を守り、社会課題を解決し、誰一人置き去りにすることなく、持続的に成長していくこと。それは、公的な機関および民間企業、そして一個人に課せられた使命であり、互いの責任ある行動、消費、協調が欠かせません。
「SDGs経営」「自治体SDGs」を推進し、企業と地方公共団体の活動に変革を起こしていくために必要なことは何なのか。有識者からの提言、変革者の「実践知」をお届けし、皆様の企業活動を変革する一助となれば幸いです。第17回の今回は、慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科教授/xSDG・ラボ代表の蟹江憲史氏に、世界のSDGsの取り組みについてお話を伺いました。
――先生のご専門は国際政治ですね。
蟹江 学生の頃、国連などの国際機関で、多国間で話を決めていく仕組みに興味を持ちました。よく観察すると、米国や英国といった大国ではなく、オランダや北欧諸国などの中小国が議論のイニシアチブを取っている。機関の長も、多くが中小国の出身です。
一方で、日本は経済大国なのに、多国間交渉ではほとんどリーダーシップが取れていませんでした。経済大国ゆえに多国間交渉しなくても一対一で物が言えるという側面はあるものの、将来は人口減や中国の台頭で相対的には力が落ちることは見えていました。そうなると、多国間交渉でリーダーシップを取れるやり方を学ばなくてはいけません。中小国はなぜそれができるのかというのが私の博士論文のテーマでした。
実はこの博士論文を書いているときに、京都会議がありました。そこでリーダーシップを取っていたのはオランダでした。そこで京都会議について詳しく研究して、私の中で多国間外交と環境問題というテーマが結び付き、現在の下地ができました。
――そこからSDGsと出合うまでの経緯を教えてください。
蟹江 2000年ごろに、温暖化関係の大きなプロジェクトで目標検討チームのリーダーを務めました。そこから目標検討に携わる機会が増えて、2012年に環境省から、SDGsを策定するに当たって目標検討をする大型研究プロジェクトをやらないかという話をいただきました。そこで同年にフィジビリティスタディー(プロジェクトの実行可能性調査)をやったうえで、13~15年に、SDGs策定プロセスに日本の研究や考え方を入れていくプロジェクトのリーダーを務めました。
――SDGsの第一印象はいかがでしたか。
蟹江 最初に存在を知ったのは、12年に開催された「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」という国際会議のプロセスで提案が出された時です。その前年に、持続可能な開発の制度を変える可能性がある仕組みとして、SDGsの提案が出されました。
提案は、リオ+20の文脈で出されたものですが、同時にMDGs(ミレニアム開発目標)の次の開発目標に統合するというものでした。話を聞いて、まずMDGsという開発目標の後に、持続開発可能な目標をつくるという発想が非常にうまいと感じました。また、これで国際的なガバナンスが変わる可能性もあると思いました。それまでの国際的な枠組みは、目標ベースで物事が進むことがあまりなかったんです。最終的に目標が設定されても、それは短期的なところで合意ができず、仕方がないので、長期で目標を出すことで何とか落としどころを見つけるというケースがほとんどでした。一方、SDGsのゴールは15年後。遠すぎず、それでいて近すぎない距離感なら、さまざまな目標設定ができます。
SDGsは目標をつくってもルールはつくらないんです。僕は09年くらいから温暖化問題の世界を見てきましたが、温暖化問題の枠組みはルールのところで合意が取れず、停滞するのが常でした。別のやり方が必要だと感じていたところだったので、SDGsのやり方は、とても可能性を秘めていると感じました。
――期待が大きかったわけですね。SDGs採択後の評価はどうでしょうか。
蟹江 正直、ここまで大きく広がるとは予想していませんでした。当時、私たちのプロジェクトは16年3月まで。手放した後にうまく浸透していけばいいなと考えていましたが、2016年に入ったくらいから注目度が高まってきて、うれしい誤算でした。
とくに反響が大きかったのは経済界ですね。もともと企業はそれぞれに経営理念を持っていて、その多くはSDGsのどこかに当てはまるものでした。経営理念とSDGsを結び付ける手助けをしてくれたのが経団連(一般社団法人 日本経済団体連合会)です。経団連は17年に「企業行動憲章」を改定しましたが、その中にSDGsが盛り込まれたことで経営者の皆さんの意識も変わったのではないかと思います。
――SDGsは世界の国々が取り組んでいます。各国の状況はいかがでしょうか。
蟹江 取り組みが進んでいるのは欧州です。欧州はSDGs以前から、持続可能な社会をつくろうという意識が根付いています。狭い地域にたくさんの国がひしめき、対立や離合集散を繰り返してきた歴史的経緯から、持続可能性について関心が高いのだと思います。一方、米国は、国としてはほとんど何もやっていません。ただ、積極的に取り組んでいる企業や州、都市もある。やっていないところとの温度差が大きく、二極化している印象です。
では、日本はどうか。GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の調査で上場企業の96.7%が「SDGsを知っている」と回答したように、SDGsは日本社会で広く認知されるようになりました。ただ、中身はまだまだ。SDGsを知らなくてもマイバッグの利用やペットボトルのリサイクルが進んでいる欧州とは対照的です。
――どうして日本と欧州で、行動レベルの差が生じるのでしょうか。
蟹江 歴史的経緯のほか、研究者の社会的地位の違いも見逃せません。欧州は、研究者の言葉がとても重視されます。例えば環境問題で注目を集めるオピニオンリーダーも、自分の意見を開陳するというより、「研究者がこう言っている。それに耳を傾けましょう」という発信をしています。一方、日本は研究者と他のステークホルダーの間に溝があって、研究成果がなかなか届きません。研究者側にも発信やコミュニケーションの不足があって、持続可能な社会に向けた連携が必ずしも盛んではありませんでした。
ただ、その点も今後は改善するのではないでしょうか。コミュニケーションがうまくいかない原因の1つは、共通言語がないこと。しかし、SDGsという共通言語が浸透したことで、立場の違う人たちの協働がしやすくなった。私たちもそこに向けて、今さまざまな活動をしているところです。