村上龍が問う。そもそも独創性とは何なのか 初めて買った国産腕時計の不思議な感覚とは

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創造性を代表するのはアートだろう。小説はどうだろうか。わたしは「創造性に充ちた小説」を書こうと思ったことがない。だが、誰の真似もしない。正確に言うと、「真似をしない」のではなく「できない」のだ。奇妙な言い方だが、「自分自身の真似・コピー」もしない。これまで書いたことがある手法・文体、モチーフだと、すでに飽きていて、そんな小説は、書くことができない。『トパーズ』という短編集では、読点だけがあり、句点がほとんどない、長い長い独白のような文体を用いた。読みやすいとはとても言えない文体だが、目的や欲求を自覚できず、また社会的規範からはみ出した女性たちの心情を描くとき、非常に有効だった。

その特殊な文体は、意識的に考えたわけではない。女性たちの心情を「翻訳」しようとして書きはじめ、ふと気がついたら、句点をつけず、永遠に終わりそうにない文章を書いていた。だが、『トパーズ』以降、一度もその文体を使ったことはない。

もっとも大きな疑問は、「独創性というのは努力すれば得られるのか」「訓練によって独創性は育つのだろうか」というものだ。「独創性を学ぶ教室」というものがあると仮定してみよう。独創性を持つ人は、そんな教室に入ろうと思うだろうか。

独創性とは、特定の個人、組織に自然発生して、それを維持させていくという意志ではないのだろうか。

オリエントスター

エプソンの時計を買った。オリエントスターというシリーズの一つだ。国産の腕時計を買ったのは、生まれてはじめてかもしれない。

その時計を、最初に腕に巻いたとき、不思議で、かつ微妙な感覚があった。きれいなデザインだったが、それまで使っていた海外ブランドの時計とは何かが違ったのだ。購入して四日目に、その感覚の正体に気づいた。そもそも時計は、権力の変遷を象徴している。人類最古の時計と言われる「暦」は、日蝕などを予言し、農耕に関する情報を与え、天候の変化による災害のリスクを減じ、古代国家における、王の支配力の源泉だった。今は、ほとんど誰もが時計を持っている。特別な独裁国家を除き、権力が分散し、民衆が政治を選ぶようになった証しかもしれない。

オリエントスターを腕に巻いて四日目、その不思議な感覚が、「日本人が創り出したオリジナリティ」なのだと気づいた。わたしはナショナリストではないが、不思議な感覚が、いつしか「静かな誇り」となった。その時計が持つ「独創性」に精神と感覚が同調した、そう思った。

次元が違う「TRUME」

オリエントスターには、そよ風のような「独創性」を感じるが、「TRUME」は、次元が違う。チタン合金のケースデザインにおいて、戦国時代の武将が身につけた「鎧」がイメージされているらしい。だが、その大胆で鮮やかな形状と色合いの内部には、長年にわたり培われ、磨き抜かれて、絶対に他が真似できない、極小・精密のセンシング技術が収められている。さまざまな計測センサー、およびGPSセンサーは光充電で稼働する。わたしたちは 「TRUME」によって、時間を知るだけではなく、気圧や高度などの「空間」の変化から、歩数や消費カロリーなど「人間の基本的な運動・代謝」まで、ダイレクトな「情報」を身につけることができる。だから、と言うべきか、しかし、と言うべきか、「TRUME」の、時を刻む機構は、アナログなのだ。まさに「独創性という概念を時計として形にした」そんなアナログウオッチである。