理想の教育を求めて
100年も続く成城の壮大な“実験”とは?
成城学園
創立者・澤柳政太郎が目指したもの
成城学園の創立者・澤柳政太郎の座右の銘は「所求第一義」。「第一義」というのは仏教用語で、「本当のもの」「一番大切なもの」「根本にあるもの」ということを表している。つまり「所求第一義」とは、「常に究極の心理、至高の境地を求めよ」という意味である。
澤柳はこの思いを胸に1917(大正6)年、現在の新宿区牛込に成城小学校を開校した。東北帝国大学(現東北大学)初代総長をはじめ京都帝国大学(現京都大学)総長などを歴任し、日本の教育界の重鎮として歴史にその名を遺す澤柳は、真の教育は小学校教育にあるという信念を持ち、理想とする初等教育を自ら実践することにしたのである。この成城小学校の創設に際し「個性尊重の教育」「自然と親しむ教育」「心情の教育」「科学的研究を基とする教育」という4つの綱領を掲げた。そして子どもが本来持つ豊かな天分を伸ばすための教育を標榜し、自学自習や少人数教育に力を入れた。また、試験の成績を児童の評価に用いないなど、実験的な試みも盛んに行い、劇や音楽などの芸術教育を重視した。
1926(大正15)年、成城高等学校(旧制)の第1回入学式においては「人生は真善美を理想とするといわれるが、学校は真理行われ道徳が通り、また美的の所でありたい」と訓示した。この言葉には、真・善・美の理想が実現する社会こそが学校であるという澤柳の高い志が表れている。
この言葉通り、澤柳は、真理と道徳を重んじ、裏表がなく、気高く、そして柔和な学生の育成を目指していく。学校を理想の小社会ととらえた澤柳は、嘘や偽りを強く退け、品格のある生活の実現を求めたのだった。
同時に澤柳は、正直、真面目という道徳を身につけ、個人の天分を伸ばすことで、知性や心情が豊かで意志強固な社会人に育つことを願ったのである。
澤柳は、東北帝国大学の総長時代に奨学金制度の導入を実施したり、日本で初めて女性の帝国大学入学を認めるなど、開明的な面を強く併せ持った教育者でもあった。1913(大正2)年、帝国教育会の会長に就任したときには、教師の待遇改善や教育研究の奨励などに取り組んだ。また海外にも早くから目を向け、欧州の教育動向の視察などを積極的に行い、世界教育学会など海外で開かれた会議や講演会などにも自ら出席し、英語で講演を行った。
真理を求め、生徒や学生の天分を伸ばし、品格のある人材を育成すること。そして同時に自由を尊重し、海外にも積極的に目を向ける社会人となるように導く。創立者・澤柳政太郎が目指した教育の理想は、100年を経た今もなお成城学園に脈々と受け継がれているのである。
成城の地とともに発展してきた成城学園のあゆみ
住みたい街といった調査が行われると、必ずと言っていいほど上位にランキングされるのが世田谷区の成城。創立時は牛込にあった成城学園がこの地に転じてきたのは、1925(大正14)年のことであった。以来、成城学園はこの町とともに発展し、歴史を築いてきたのである。
この地に移転してきた1925年当時、周囲は田畑や雑木林が広がるばかりで、住宅など視界を遮るものはほとんどなかったという。移転時には幼稚園を創設。さらにその翌年の1926年には旧制7年制の成城高等学校、1927年には5年制の成城高等女学校が開校した。
正門から続く道の先に小田急線の成城学園前駅ができたのは、1927(昭和2)年のこと。成城学園の要望を受けて小田急電鉄の開通時に駅が開設されたのである。
その数年前、この地に小田急線が開業すると知った成城学園は、学園用に7万9200平方メートルの土地を購入し、それとは別に周りの6万6000平方メートルの土地も購入した。この土地は住宅地として整地したうえで販売し、学園建設の費用に充当したのである。
移転当時、駅付近の住所は成城ではなく、砧村喜多見であった。その後、1930年になると住所が砧村喜多見成城と変わり、1936年、砧村が東京市に編入され、世田谷区に組み込まれることになったとき、世田谷区成城という住所になったのだった。もちろんこれは成城学園の名に由来してつけられた地名である。成城学園が移転してこなければ、この町は別の名前になっていたはず。まさに学園あっての町であり、町あっての学園といえる。ちなみに成城というのは中国の古典「詩経」の大雅の一節にある「哲夫成城」からとられたものである。
やがて長かった戦争が終わり、学制が改革されると旧制高等学校、高等女学校は廃止され、男女共学の新制成城学園中学校、成城学園高等学校が新たに開校。さらに1950年には経済学部と理学部からなる成城大学が開校し、幼稚園から大学までを擁する総合学園となった。
今、成城はお洒落で上品な町というのが定評。一方、成城学園の学生も、お洒落で明るく清潔感があるといわれることが多い。自由でのびやかな校風が町をつくり、洗練された町の雰囲気が校風や学生のふるまいにも影響を与える。学園と町はもはや切っても切り離すことのできない関係といえる。
創立者・澤柳イズムを引き継いだ
成城学園ならではの教育
2017年に創立100年を迎える成城学園。この間、学園を取り巻く環境は大きく変転し、学園自身もさまざまな変貌を遂げてきた。だが、形を変えつつも、成城学園らしい教育、成城学園ならではの教育を行うという姿勢は変わらない。
たとえば成城学園初等学校で毎年、数回行われているクラスデーは、児童や教員が考え、クラスごとに行う活動である。液体窒素を使った実験や段ボールハウスづくり、和太鼓教室などその中身はバラエティに富んでいる。3年生から餅つきを始めて、少しずつ自力で行う範囲を広げ、6年生になったときはもち米を研ぐところから餅つき、味付けまでの全工程をやり遂げたクラスもあった。子供の豊かな天分を伸ばすという澤柳が目指した教育が、まさにここにある。
中学校では、1年生のときに「海の学校」、2年生のときに「山の学校」を体験する。海の学校の大きなテーマは、生命の源である海と触れ合いながら、命について学び考えること。いざというときの自助、共助の精神や技術を身につけるため、心肺蘇生実習などを受けるライフセービング実習も行われる。また、東日本大震災以降実施を見送っていた伝統の遠泳も復活。大きな挑戦を経た生徒たちは、海の学校が終わるころには自信と誇りに満ちた顔つきになっているという。
また山の学校では、最長4泊5日の行程で槍ヶ岳や白馬岳といった3000メートル級の山を登る。もちろん体調管理や安全管理には万全を期し、山岳経験豊富な教員のほかに専門のガイドも同行するが、ときには垂直の崖を登ることもあり、「命がけ」という言葉が実感できるほどのコースだ。それだけに苦しさを乗り越えることの大切さ、そして乗り越えたときの達成感など、生徒たちは教室では得られない大きなものを学ぶことができる。
また成城大学では、成城学園第2世紀ビジョンにある「日本を知り世界を理解する人を育てる実践の一環として、2013年度から「夏期マレーシア短期海外研修」を実施している。研修期間中は、語学研修のほか、現地企業でのインターンシップも行われる。
早くから海外に目を向けていた創立者・澤柳政太郎の志を受け、成城学園では国際化教育にも力を入れている。グローバル化の時代、こうした成城学園ならではの教育は今後、ますます充実したものになっていくだろう。
次の100年を見据えた教育改革を強力に推進
理事長インタビュー
――ご自身も成城学園中学・高校のご出身ですが、どのような学園生活でしたか。
渡 自由でのびのびと過ごしたという印象ですね。というのも成城学園は自由闊達で個性を尊重する学風なのです。強制的に型にはめるのではない自由な雰囲気がありますし、自分の個性だけでなく相手の個性も尊重する。そういう学風が伝統的に受け継がれているのです。しかも幼稚園から大学までが一つのキャンパスに集約されていますから、小学校とか中学校という枠を超えた人間関係が育まれる。それに成城学園というのは意外に文武両道的なところがある。ですから勉強も遊びも、本当に楽しく過ごした思い出があります。
――学園創立者の澤柳政太郎氏は「所求第一義」を座右の銘とされていたそうですが、理事長はこの言葉をどのように解釈されていますか。
渡 第一義というのは最上級というような意味です。つまり最上級を求めなさいということです。でもそれは、順位を争うということとは少し意味が違います。やるからにはベストを尽くしなさいということなのです。なにをするのでもいいから、その世界を極めなさいということでしょう。ベストを尽くすということと、個性尊重、そして独立独行の3つが創立以来の建学の精神です。独立独行というのは、自分の道は自分で考え、自分で切り開いていくということですね。
――確かに成城学園の生徒や学生には、おおらかで品がいいという印象があります。
渡 一方でやや足りないのがガッツというか、野心ですね。自分がどんどん前に出ていこうというところがあまりない。でも、これからの社会でリーダーシップを発揮していくようになるには、そういうところも大切です。ですから今、創立100周年を迎えるに際してそういうところも改革していこうと考えています。
――改革によって、どんな力をつけさせたいですか?
渡 ビジネス社会や経済界での経験から、いくら組織や制度をつくっても、実行する能力が伴わないと実現できないということを痛感しました。そしてそうした能力を養うのは、学校教育なのだということも知りました。多様化し、混とんとしたこの社会を引っ張っていくには、変えていく力、変革を実行していく力を持つ必要があります。そのためには、ビジョン構築力、実行力、国際対応力が不可欠です。私自身、そうしたことを常に念頭にビジネス社会を生きてきたところがあります。
――その3つの力をどのように養いますか。
渡 今、学園を上げて教育改革に取り組んでいます。その柱は、情操教養教育、国際化教育、理数系教育の3つです。情操教養教育というのは、幅広い知識を身につけるということです。とくに自国の文化や歴史とともに、海外の国の文化や歴史も知ることを重視しています。そうした教養がなければ、グローバルな舞台で豊かな対話などできませんからね。一方、国際化教育というのは、コミュニケーション能力、ディベート能力の強化で、具体的には幼稚園から英語教育に力を入れます。高校を卒業するころには一通り英語が話せるレベルになっていることを目指します。
――理数系教育というと、工学部を創設されるのでしょうか。
渡 そうではなく、要は論理的思考力を養おうということです。人を説得し、リードしていくためには理数的な論理で裏付けられていることが必要です。そういう意味での理数系教育です。
そうした教育を幼稚園から大学まで一気通貫で行い、成城学園独特の人材を輩出していきたいと考えているのです。
――理事長ご自身の座右の銘をお聞かせください。
渡 有言実行、これが私の座右の銘です。昔から不言実行と言いますが、何も言っていなければ後からどうとでも言い訳ができてしまいます。だから有言実行だと。成城学園の教育改革も計画が決まったらきちんと公表し、教職員も含めて全学が一体となって実行していきます。教育は国家百年の計と言いますが、教育こそ国を支えていく原動力です。そういう意味で教育機関の責任と役割はますます重大です。100周年で終わるのではなく、次の世紀も見据えて改革に取り組み、自らの力で未来を切り開き、社会に貢献する人材を輩出していく。それがこれからの成城学園の最大の社会的使命なのです。