FILAで血が騒ぐ その時代を越える熱
その名はボルグ。まず彼を紹介すべきだろう
FILAは、1911年にイタリアのビエラでニット生地メーカーとして創業。その後、1973年にスポーツブランドとして広く認知されるようになった。きっかけは、現在まで続くロゴデザイン「F-ボックス」を配したウェアを発表したことにある。
当初からテニス、スキー、スイミング、ゴルフといった幅広いスポーツでウェアを展開させ、トリコロールを基調とするスタイリッシュなデザインと機能性の高さで若者たちの支持を集めていった。
なかでもスウェーデン出身のテニスプレーヤー、“ビヨン・ボルグ”が愛用したことは、ブランドの躍進に大きな影響を与えた。
彼は1972年にツアーデビューを果たしたばかりの若きテニスプレーヤーだったが、1974年には18歳の若さで全仏オープン優勝を飾る。そんな世界が注目する若き天才の胸元に、FILAのロゴが揺れていたのだ。
その影響力にいち早く気づいた同社はすぐにウェア契約を締結。これはテニス業界で初めてのことであり、スポーツ界のなかでも先進的なことであった。
以降、広告イメージに採用されFILA=ビヨン・ボルグのイメージが世界中に浸透していく。多くの人がイメージするピンストライプのテニスウェアは1976年のモデルで、この年に彼はウィンブルドンで初優勝を飾り、その後同大会にて5連覇という快挙を達成することになる。
FILAがスタープレーヤーの代名詞
当時のテニス界は、ジミー・コナーズやジョン・マッケンローなど個性的なプレーヤーが多かった時代。そんななか、常に沈着冷静な試合運びを行うビヨン・ボルグに付けられたニックネームはアイスマン。感情を露わにするプレーヤーが多いなかで彼の存在は稀有なものであり、またヴィジュアルも美しく多くの女性ファンを惹きつけた。
プレースタイルの特徴は、ガットのテンションを限界まで高くし、トップスピンをかける独自のショット。回転系の球を多用することは当時珍しかったこともあり、トップスピンはボルグが広めたとも言われている。いまでは「現代テニスの父」と称えられている。ちなみに、のちにライバルとなるジョン・マッケンローもデビューの年にはFILAを着ていた。
日本ではその頃、漫画『エースをねらえ!』の人気や、全英オープンで沢松和子とアン清村のペアが女子ダブルスで優勝したことなどからテニスブームが再燃。別荘地のペンションや会社の福利厚生施設、自治体のスポーツ施設などに次々とテニスコートが設けられ、おしゃれなスポーツとして浸透。大学ではテニスサークルが次々と生まれ、テニスルックがブームとなっていく。そのときに多くの人がイメージした王道のテニスウェアとは、ビヨン・ボルグが着こなしていたFILAのアイテムだった。
現在も当時と状況が似ている。漫画『テニスの王子様』の影響や、数々の日本人プレーヤーの活躍によりテニス人気が再燃。さらに、70年〜90年代のアイテムをうまくMIXしたスタイルが若者に支持されているなか、FILAはファッションアイテムとしても注目されている。
世代を超える普遍的なアイコン
今年のFILAは、イメージキャラクターに、モデルであり女優の佐々木希、人気俳優の溝端淳平を起用。彼らが着こなすテニスウェアは、かつてのFILAの遺伝子が組み込まれたクラシカルなものとなっている。
胸元にはアイボリーと赤と青のコントラストが映える「F-ボックス」が象徴的に使われている。この絶妙なデザインセンスは、ビヨン・ボルグを知る往年のファンには「あの当時を思い出して血が騒ぐ」「いまだから着たい」と思わせ、若い世代にはクラシックテイストを印象づける。
また、製品素材は吸湿速乾性に優れ、UVカット機能を装備したものが多い。テニスなどのスポーツ時はもちろん、休日のリラックスウェアとしてもオススメだ。
FILAが築いたブランド力は、テニスとともにある。しかしそれだけではない。自らの背景を、スポーツとファッションの両面から昇華させ続けている。いま、あらためてファッションアイテムとして注目があつまる理由がそこにあるのだ。