出版社への「飛び込み」が作家への道を拓く 黒木亮もきっかけは「飛び込み」だった

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私は43歳のとき国際協調融資の世界を描いた「トップ・レフト」で本格デビューした。最初に原稿を読んだ祥伝社の山田氏が「これはすごい!」と興奮して電話をかけてきた。新聞広告も打ってもらい、初版1万部で、5刷り・2万2000部までいった。毎週火曜日に、家のパソコンで八重洲ブックセンターのベストセラー・ランキング見るのが楽しみだった。

ただやはり新人賞を獲っていない作家をデビューさせるのは容易なことではなかったようで、ずいぶん経ってから元祥伝社の別の編集者から「山田氏が熱を込めて上司の編集長を説得していた姿を思い出す」と言われた。

2作目は、最初に書いたベトナムの小説を2倍くらいの量に加筆して、デビュー1年半後に「アジアの隼」として出版した。初版1万5000部で、3刷り・2万部までいった。

2作出して感じたのは、本を大きく売って作家になるには、小さな出版社でなく、ベストセラー競争でしのぎを削っている大手か準大手じゃないと、ノウハウも気概もないということだ。陸上競技でも経験したが、同じポテンシャルを持った選手(作家)でも、自分はこんな程度だと思って自己流でやっているのと、日本一になって初めて一人前と見なされるようなトップクラスのチームに入ってやるのとでは、伸び方の次元が全然違う。

この頃になると、文藝春秋など複数の出版社から声がかかるようになった。2作目が書けない新人が多いので、様子見をしていたのだ。彼らに「昔、おたくの新人賞に応募したけど、一次予選をかすりもしなかったぞ」と文句を言うと、「いやあ、わたしはその頃は新人賞の担当じゃありませんでしたから、はははは」と逃げを打たれた。

サバイバル・レース

自宅書斎にて

自分の経験をもとにして書けるのはせいぜい2、3作で、そこからは取材して第三者の経験を書けないと作家は続けられない。新人賞を獲ってデビューしても5年後に生き残っているのは100人中数人で、10年後には1人か2人になる。「年末ジャンボ宝くじ」なら7億円が27本も当たるが、作家として生き残っていける確率はそれより遥かに低い。

私もやっていけるかどうか確信が持てなかったので、3年弱の間、サラリーマンとの2足のわらじでやってみた。自信がついたのは3作目の「青い蜃気楼~小説エンロン」で、これは完全に取材だけで書くことができた。100人くらいに取材した「巨大投資銀行」は、一番のヒット作になり、出した次の日くらいに出版社から「緊急増刷をかけるかもしれないので、修正すべき箇所があったら至急教えて下さい」と連絡が来たときは嬉しい驚きだった。

出版社が本を出してくれるかどうかは、前の作品で増刷がかかったかどうかが大きい。東野圭吾氏はデビューして15作くらい連続して増刷がかからなかったそうだが、講談社の編集者に聞いたところでは、毎回初版の消化率もよく、出版社は満足していたそうである。

私は元々一人でいることが好きな内省的な人間で、人付き合いは苦手だった。しかしサラリーマンとしてノルマを課され、否応なく営業に飛び回ったり、国際協調融資の仕事で世界中の企業や銀行を相手に交渉をしていくうちに、人づきあいの面白さを知った。その過程で身につけた度胸、話術、交渉力、礼儀作法などは、今、取材活動で役立っている。

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