イギリスは「テロとの百年戦争」の最中にある

ロンドンは、ずっと過激派の標的だった

1992年4月10日のIRAのテロで爆破されたコマーシャル・ユニオン・ビル内の筆者が働いていたオフィス(上)と同ビルおよび付近のビルの写真(下)

130人以上が犠牲になったパリでのテロ事件から1カ月が経った。私が住む英国は今や、米仏露と並んで、最もイスラム過激派のテロの脅威にさらされている。しかし、この国には長年テロと共存してきた歴史があり、テロに対処する知恵と組織がある。

私が邦銀の駐在員としてロンドンに赴任したのは1988年2月である。当時、英国は北アイルランドの独立を目指すIRA(アイルランド共和国軍)によるテロとの戦いの真っ最中だった。

1917年の創設以来、一貫して武装闘争を行ってきたIRAは、人員と規模を拡大し、北アイルランドのプロテスタント系(英国系)組織や同地に駐留する英軍や警察を襲撃し、英国本土にも攻撃を加えるようになった。

1984年10月にはサッチャー首相を標的に保守党の党大会が開かれていたブライトンのホテルを爆破し、5人を殺害した。

テロで命を落としかけたことも

私が赴任した頃も、ケント州の海兵隊の兵舎が爆破され22人が死んだとか、ウェンブリーでバスが爆破され、兵士が1人死んだとか、サセックス州で対IRA強硬派の保守党の国会議員が車に仕掛けられた爆弾で殺されたといった事件が日常茶飯事だった。

私自身も爆弾テロで死にかけたことがある。1992年4月10日、金融街シティのビルの9階にある邦銀のオフィスで残業をしていたとき、そばの路上でIRAが500kgほどの爆弾を爆発させ、衝撃でビルが倒れかけた。粉々に砕け散った分厚い窓ガラスの破片で負傷し、今もそのときに縫った傷跡が右手首や左ひじに残っている。このテロで数十人が負傷し、3人の死者のうち1人は勤務先の銀行の運転手の15歳の娘だった。もし爆弾の量が倍だったらビルは倒れ、私は今頃この世にいなかった。

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