「本社は鉄筋ビル」という常識は間違っている 住宅仕様にすると、良いことがいっぱい

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大きな苦難を乗り越えてきたにもかかわらず、高橋社長は、「私はあまり逆境に出会ったとは感じていません」と言います。

「ならば自ら苦しい状況を体験し、今後の逆境にも耐えられる精神力を身に付けようと、マラソンを始めたのです」

マラソン暦26年、すでにフルマラソンを74回完走しているそうです。失礼ながら、60歳を超えてスゴイ実績です。実は社員さんたち、「社長、またマラソンに行くんかいな」と陰で言っていたそうです。でも高橋さんは、そんな会社の人にも声をかけ、皆でマラソン大会に挑戦しようと誘いました。最初は躊躇していた社員も、走り終わった後は達成感で、すがすがしい笑顔に変わります。

マラソン経営で次にバトンタッチ

「個人会社だった当時、父は、中卒で入ってきた若い社員を息子のように可愛がって、面倒を見ていました」

そんな家族経営のよさを肌で感じていたので、社員の物心両面の幸せが何より大事と考えました。社員の皆とマラソンや駅伝大会に参加するのも、心とからだの健康づくりとそこに家族のつながりのような一体感を感じてもらいたいからです。

高橋社長は還暦を迎えた時、65歳で社長の座を降り、後進に道を譲ると明言しました。

「経営にゴールはありません。駅伝のようなものです。信頼する担い手に『三方良し経営』のタスキをつなぐことが私の役割です」

木材と共に生きてきた高橋社長は、その木肌にも似た温もりのある社長さんでした。

竹原 信夫 日本一明るい経済新聞 編集長

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たけはら のぶお / Nobuo Takehara

有限会社産業情報化新聞社代表取締役(日本一明るい経済新聞編集長)。1971年3月、関西大学社会学部マスコミ学科卒、同年4月にフジサンケイグループの日本工業新聞社に入社。その後、大阪で中小企業担当、浜松支局記者などを経て、大阪で繊維、鉄鋼、化学、財界、金融などを担当。1990年4月大阪経済部次長(デスク)、1997年2月から2000年10月末まで大阪経済部長。2001年1月に独立、産業情報化新聞社代表に。年間約500人の中小企業経営者に取材、月刊紙・日本一明るい経済新聞を発行している。
 

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