「渋谷ヒカリエ」に賭ける東急のまちづくり戦略 人が動くと、カネが動く

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「渋谷ヒカリエ」に賭ける東急のまちづくり戦略

 

椎木 輝實

 

今のビジネスマンには、あまり耳慣れない言葉かもしれないが、かつて“鉄道王”と呼ばれた人がいた。

西の阪急コンツェルンの創始者、小林一三(1873~1957)、やや遅れて東急コンツェルンの総帥、五島慶太(1882~1959)--。

鉄道王のDNA

ともに官業に対抗して、関西および首都圏に、一代で強力な私鉄網を張り巡らし、鉄道事業に関連して、沿線の大規模土地開発、住宅造成、商店街建設、ターミナルデパート、各種娯楽施設経営、スポーツ、最後には教育・文化事業にまで手を広げた。2人とも、第二次大戦中の戦時内閣の大臣を務め、戦後、GHQより公職追放令を受け、一時引退。追放が解除されるや、晩年、再び事業に打ち込んだ点も似ている。

“武闘派”タイプの経営者として知られた五島慶太は、同時代のライバル、西武鉄道を率いる堤康次�(1889~1964)とは激しく争い、特に伊豆箱根の権益をめぐる確執は小説の題材になったほど。が、先輩格の西の小林一三とは折り合いがよく、五島は小林から経営について助言を受けたこともあるという。

戦後のまちづくり、開発というと、地上の建物の超高層化、最先端工法の取り入れを誇示するデベロッパーが多いが、小林、五島ともに、今でいう都市のインフラ整備に気を配り、特に鉄道建設と並行してライフライン設備の充実に力点を置いていたことは注目していい。

今回紹介するのは、かつて東の“鉄道王”が情熱を傾けた東急電鉄のターミナル、渋谷の新しいまちづくりである。

渋谷の街は、1964年の東京オリンピック開催を機に、多様に変化する。NHK放送センターが日比谷から移転。高度経済成長期には大型資本による開発が続き、東急対西武の百貨店戦争は熾烈を極めた。その後、ヤングファッションの隆盛、急激なバブルの膨張と崩壊……激動の時代が続くが、最近の渋谷は? といえば、いわゆるヤングギャルに占領されて、無国籍風店舗が氾濫。

「大人が歩くと疲れる街」と化した趣きがあり、素通り、通過客は増える一方だったのである。

これではならじというわけで、東急本社がとった戦略は、再びファウンダー五島慶太のDNAの登場--それが「ヒカリエ」である。

人が動くところ、カネが動く

現在の渋谷は、JR、東京メトロ、東急系はじめ私鉄各社、計8つの路線が乗り入れ、1日の平均乗降客数300万人といわれる。そのうち、東急直営の2つの路線、東横線(1926年開業)の現在の乗降客数は1日平均42万人。田園都市線(27年開業)が同じく64万人。東急グループだけで、1日100万人以上の渋谷駅利用客がいるのである。

 

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