商店街5つが連携、本郷「町おこし」の本気度 実は意外と難しい商店街・町会の連携プレー
街にはあまり見えてはいないが、さまざまな縦割りがある。たとえば商店街。日本で初めて「●●銀座」の名称を使ったと言われ、テレビにも頻出する戸越銀座商店街(品川区)は1本の通り沿いに約1.3キロも続き、ぱっと見にはひとつの商店街のように思えるが、もともとは3つの商店街が地域振興のために集まったもの。戸越銀座に限らず、どの街でも注意深く見てみると道1本を挟んで、あるいは通りごとに名称が異なっているなど、商店街は意外に細切れである。
この理由は多くの商店街に法人格を与えることになった商店街振興組合法が施行された1962年当時の消費は大半が徒歩圏内で賄われており、商圏も狭かったことに由来する。
同法は1959年に起きた伊勢湾台風以降の流通の混乱を鎮静化させるために作られたとされる法律で、これ以前に法人格をもった商店街組織はほんの数%程度。多くは任意団体で、国から補助金を得ることはできなかった。そこで、商店街のメンバーが集まった組合が法人格を得られるようにと同法が作られ、狭い商圏を対象とする商店街が固定されたというわけである。
なぜか隣り合う商店街同士は仲が良くない
町会にも似たような事情がある。1960年以前の地図を見れば分かるが、当時の住宅は駅の周囲や幹線道路沿いなどに集落として点在しており、現在のように途切れなく人家が続く場所はあまりない。たとえば、文京区には155の町会、自治会があるが、現在の町は、丁目で分割したとしてもそれほど多くはない。ほんの数十年前、人々が自分の生活空間として意識する町はもっとずっと小さな空間だったのである。
そのためだろうか、隣り合う商店街同士、町会同士はあまり仲が良くないことが多い。特に商店街は商店店主がそれぞれ一国一城の主でかつ家族経営であることが多く、個店の利害が優先されがち。ほかの商店街との連携で競合が起きる可能性を考えると進んで連携したくはないというのが本音なのだろう。
前述の戸越銀座商店街も近年は統一名称が浸透し、協働しているように見えるが、内実を知る人に聞くと必ずしも一枚岩ではないようである。同床異夢であれ、今後、地域を元気にするためには町域、商店街を超えた連携が必要になってくる。
しかし、残念ながら既存の組織の多くはそれに対応しきれていない。たとえば、商店街が祭りを主催する場合、商店街には助成が出る。駅の周辺に複数の商店街があるとしたら、それらの商店街が集まって同じ日に祭りをしたら、各商店街に交付された助成金をまとめ、大きな額を予算として使えることになり、賑やかな祭りができ、集客にもつながる。
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