「きみ、電気ストーブのスイッチ、切れや」
松下幸之助のもとで最初の2カ月が経った、昭和42(1967)年11月の中頃。それまでほとんど注意らしい注意をされたことのなかった私は、内心驚きを禁じえなかった。
松下の「小さなこと」へのこだわり
松下グループの総帥である松下ともあろう人が、ストーブのスイッチを切るようにいちいち指示を出す。あまりに小さ過ぎる注意で、そんな細かなことを言うのは松下に似合わない、と思えたからだ。夕方、真々庵(しんしんあん)からすぐ近くの楓庵(かえであん)へ帰るために部屋を出たところで松下は、見送りのために一緒について出ようとした私をふりかえり見て、そう言った。
驚いている私に、さらにこう付け加えた。
「誰もおれへんのに、ストーブ、つけとく必要はない。それに危ないやろ、火事にでもなったら」
その驚きのせいだろう、それからしばらくの間、松下の「小さなこと」へのこだわりが、私の強い関心事となった。
お客さまを招いたときには、約束の1時間か2時間前にやって来て、すべて自分で陣頭指揮をとりスケジュールを決め、係の者たちに細かな指示を与えるのがつねであった。
私が松下のそばで仕事をするようになって、初めてお客さまを迎えたときも、やはり1時間ほど前に真々庵にやって来た。いろいろな人に指示を与えてから、私に、庭に回って歩くからついてこいと言う。歩きながら、ところどころで立ち止まっては、ここではお客さまにこういう説明をせよ、この石はなんの石と解説しなさいと、一つひとつこと細かに指示を出した。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら