人文学は「今=危機の時代」にこそ必要だ 「内田樹×白井聡」緊急トークイベント<後編>

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白井:たとえば経済学のように、歴史を考えたり、貨幣に関する哲学的な考察をしたりといった、人文学的な側面がある一方で、ある分野に関しては実学として、純粋に数学的な手法で研究を進めることができるという、両方の要素を持った分野もありますね。

人文学的側面を忘れた経済学

白井:ただ経済学の場合、もともとそういう両面を持っていたものが、ここ20年ぐらい、実学的な部分だけが異常に発展し、突出してきて、人文学的な側面が忘れられていたわけです。

リーマンショックが起こった直後に、イギリスのエリザベス女王がロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの経済学者たち、つまり主流派の最も優れていると世間から思われている経済学者たちに対して、「この危機が起こることを、なぜあなた方は予測できなかったのか」と質問したそうです。実にまっとうな質問だと思いますが。

経済学者たちはその場では答えられず、何カ月間か討議して、「思い上がりによって見落としていた」と回答したそうです。

彼らは、自分がやっていることを相対化できなかったわけです。本来は非常に知的レベルが高い、頭が切れる人たちのはずが、一定の状況にはまり込んでしまうと、「バブル経済など存在しない」とか「人類は不況を克服した」といった、冷静に考えれば完全にバカげた考えを本気で信じて、突っ走ってしまう。

それはおそらく、過去の市場の歴史、あるいは積み重ねられた学説史、そういった先人の経験に対して無関心であり、人間心理についても無関心であった結果でしょう。そうした人文的な視点を忘れてしまうと、自己を相対化できなくなり、その学問は崩壊してしまう。

さらに言えば、これは権力の構造と大いに関係しているのです。なぜなら、経済学者のうちの誰も危機が迫っていることに気づかなかったなどということはなく、警鐘を鳴らしていた人もたくさんいた。しかし、そのような人々は、まさに系統的に影響力のある地位から排除され、愚にもつかないことを主張する人々が主流派になる構造が、すでに長い間、出来上がっていたわけです。

原子力工学の世界などとまったく同じですね。多くの学問分野で似たようなことが進行中なんじゃないかと感じます。

内田:やはり人文学が光る時代というのは「乱世」なんです。僕が高校生の頃、1960年代には東西冷戦構造の中で核戦争の危機が切迫しており、文化大革命、ベトナム戦争、五月革命、公民権運動……と世界中が動乱状態にあった。それまでのすべてのシステムの賞味期限が切れて、新しいものが生まれようとしていた。そういうときには哲学、歴史学、人類学、精神分析、社会学といった学問が輝いていました。

でも、相対的安定期に入ってくると、人文学に対する需要は急激にしぼみます。それはそういうものだから、文句を言ってもしかたがない。でも、僕はこれから人文学・社会科学がもう一度、脚光を浴びる時が来るだろうと思っています。この社会が今、明らかに移行期に入っているからです。

この混乱がいつまで続くかわかりません。いずれ混乱が収束して、また新しい仕組みが登場して、それが安定的に機能するようになるでしょう。それまでの移行期においては、哲学、文学、歴史学、宗教学といった、世界を巨視的にとらえ、人間の心の奥深くに沈潜する学知に対する需要が、高まるだろうと思います。

(写真:石本 正人)

東洋経済新報社 出版局
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