6浪医学部「レール敷いた親」に抱いた複雑な感情 大阪歯科大に合格したが、医学部目指して浪人

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高校に進学してからの竹歳さんは、その軸の1つであるラグビー部の活動にがっつり打ち込みます。

「勉強は定期試験の1〜2週間前からやっと始める感じで、成績は高校3年生までずっと下のほうから真ん中だった」と語るほど、暗くなるまで精力的に部活をしていた彼が「3つの軸」から医師に目標を絞ったのは、高校3年生の夏の三者面談がきっかけでした。

「父親が担任の先生に『この子は6年遊んでいたから、6年かかると思うんですけど、医学部に行ってほしいと思っているんです』と言ったんです。今まで将来を先送りにしていましたが、このまま親に逆らって1人で家を出るわけにもいかないので、確実に浪人するであろう現実を受け入れて医師になろうと思いました。幼少期に自分が国立循環器病研究センターで診察を受けたこともあって、医学部で心臓のことを学ぼうと決心したんです」

こうして彼は心臓血管外科がある近畿大学を第一志望に設定して頑張ります。しかし、部活漬けの日々を送っていたために、やはり現役時のセンター試験の点数は400/800点をわずかに上回る程度。

結局、近畿大学の公募推薦と一般入試、大阪医科大学(現:大阪医科薬科大学)、関西医科大学、兵庫医科大学、大阪歯科大学を受けて全滅しました。「医師になると覚悟を決めた」彼は、浪人を決断します。

寮で勉強を続ける日々

1浪目での逆転合格を目指した彼は両国予備校の大阪校に寮生として入りました。彼は予備校で、9時から16時ごろまで60分授業6コマをこなす日々を送ります。しかし、それで勉強は終わりではなく、むしろ寮に帰ってからが本番でした。

「現役時から生活が一変しました。日中の授業が終わって寮に帰りご飯を食べてからは、寮長さんが定期的に巡回に来るので、みんな18時〜24時までずっと勉強していましたね」

しかし、予備校という環境で生活習慣を見直したことと、優秀な仲間に出会えたことで彼はこの1年で飛躍的な成長を遂げます。

「うちの高校からは医学部を受験する子がいなかったのですが、予備校には各都道府県の進学校に通っていた子がたくさんいました。そこで、彼らの意識の高さにすごく驚いたんです。本気で医学部受験をしようとしている人たちと初めて知り合って、あぁ、自分は今までの18年間、人生を舐めていたなと気づいたんです

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