ネグリが示した〈帝国〉の存在とは何であったか 時代の変化をつかむも時代に乗り越えられた思想家の死

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しかし、足元に世界を転覆するものを〈帝国〉は日々つくりだしていたのである。それは彼らの個人主義的社会になじまない共同体的人々、市民社会から排除された人々であり、彼らをグローバル化の中、各地で少しずつ増大させていたというのだ。

それが、アメリカの9.11=同時多発テロという衝撃を生み出した一団でもあった。アルカイーダという組織は、国家でもなく、近代社会の外にいた人々の集団だったからである。

時代の変化とネグリの分析のズレ

しかし、〈帝国〉はマルチチュードによって衝撃は受けたが、崩壊へと進む原因となったのは2008年のリーマンショックだった。歴史は思想家を待たない。思想家以上に歴史はすばやく変化するのである。

2008年のリーマンショックは、アメリカという〈帝国〉、アメリカが象徴していた先進国の〈帝国〉の支配するグローバル世界を簡単に破壊してしまった。グローバル化から保護主義的世界、国家主義的世界への退行現象が起きたのである。

アメリカを中心とする〈帝国〉社会は次第に仲間割れと対立へと進み、諸国家の対立と抗争の世界に舞い戻ってしまった。そうなると世界では、〈帝国〉世界の市民とその外に住むマルチチュードとの対立という図式は当てはまらなくなり、諸国家の対立する世界に舞い戻ってしまったのである。

もはや『〈帝国〉』という書物で世界を理解することなどできなくなってしまったのだ。ここにネグリという思想家が、歴史に追い越されて、その思想が時代遅れになった原因がある。

2008年以後、まったく違った世界が出現した。それは〈帝国〉の弱体化であり、その支配の衰退である。

先進資本主義国の政治、経済、軍事が、総体的に勢いを失い、後進的地域であったアジアやアフリカに次第に政治、経済、軍事の優位が移りつつあることである。

もちろん、これもグローバル化によって生まれたことであり、アメリカという〈帝国〉支配が自ら生み出した現象である。今やロシアや中国、インド、トルコ、ブラジルなどといった国が、〈帝国〉に対する対抗勢力として抗争をしかけてきている。

このG7とBRICSとの対立は、ウクライナ戦争やイスラエルとガザの戦争として出現している。この対立を説明する原理として、ネグリの議論は残念ながら使えない。思想家は自らの時代を生き、その時代に追い越されて舞台を去る。

ネグリは、少なくとも今の現象を見ていたはずであるから、何かを書き残しているはずである。彼が時代の変化をどう見ていたのかは興味深い。しかし、歴史は思想家を容赦なく踏み越えていくものであることは忘れるべきではない。

的場 昭弘 神奈川大学 名誉教授

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まとば・あきひろ / Akihiro Matoba

1952年宮崎県生まれ。慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士。日本を代表するマルクス研究者。著書に『超訳「資本論」』全3巻(祥伝社新書)、『一週間de資本論』(NHK出版)、『マルクスだったらこう考える』『ネオ共産主義論』(以上光文社新書)、『未完のマルクス』(平凡社)、『マルクスに誘われて』『未来のプルードン』(以上亜紀書房)、『資本主義全史』(SB新書)。訳書にカール・マルクス『新訳 共産党宣言』(作品社)、ジャック・アタリ『世界精神マルクス』(藤原書店)、『希望と絶望の世界史』、『「19世紀」でわかる世界史講義』『資本主義がわかる「20世紀」世界史』など多数。

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