日本でインターネットをやるのは今でも大変

鈴木幸一×松本大「神田錦町時代」を語る

IIJの鈴木幸一会長(左)とマネックス証券の松本大社長。この2人は1998年3月に初めて出会った
日本におけるインターネットの草創期は、1990年代である。1992年12月に鈴木幸一氏はインターネットイニシアティブ(IIJ)の企画会社を設立し、1999年には松本大氏がマネックス証券を設立した。この2人が濃密に交流していたことは、当時、2人を取材した記者にとっては"常識"で、実にエキサイティングな、起業シーンだった。
両社は千代田区神田錦町の同じオフィスビルに入っていた。ちなみに、すぐ隣のビルには北尾吉孝氏が率いるソフトバンク・インベストメント(現SBIホールディングス)の本社オフィスもあった。インターネットビジネス勃興期のホットスポットがあったのだ。
鈴木氏が日本のインターネットとIIJの歴史について綴った『日本インターネット書紀』(講談社)を上梓したのを機に、当時の秘話を2人に語ってもらった。前編は、「日本のインターネットが熱かった頃の神田錦町の話」。

 

後編は、紙の本を読まないと、人はバカになる

1年のうち150回は一緒に飲んだ

──お2人の関係は本当に深いですよね。

鈴木:ともかく大(おおき)ちゃんとは、よく一緒に飲んだね。

松本:そうそう。約1年間、会社をつくる前後は1年のうち、冗談抜きで150回ぐらい飲んでいたんです。1年のうち150回ですよ、すごいですよね? 鈴木さんには遊びでも仕事でも、飲みに出かけるときによく呼ばれましたね。

鈴木:そう、そう。

松本:くっついていって。まるで書生さんみたいでしたよ。

鈴木:そんなことないですよ。

松本:最初に会ったのが1998年3月、会社をつくったのが99年4月ですから、この1年は本当に鈴木さんと一緒にいた1年でしたね。最初は、(住友銀行の)近藤(章)さんと3人で会ったんです。

かつて、IIJもマネックス証券も、そしてDLJディレクトSFG証券(現・楽天証券)も、神田錦町にある竹橋安田ビルに本社を置いていた

鈴木:そう。夜、仕事が終わってから我が家でよく飲んだ。カーテンひとつない、ひどいうちだったけれど。その頃、大ちゃんが、インターネットにすごく興味を持ってくれた。まあオンライン証券は、アメリカでチャールズ・シュワブとかがやっていたからね。

松本:98年の頭の時点では、会社ではインターネットを使っていたけど、個人的には使っていなかったんですよ。で、鈴木さんと会って、話を聞いて、「こりゃ面白い」と思って、4月か5月にはIIJのプロバイダサービスIIJ4U(アイアイジェイフォーユー)に入りました。それをいまだに使っています。

それで、インターネットを自分でやり始めて。8月ぐらいまでに、気持ちがだんだん固まってきて、やっぱりオンライン証券をやったほうがいいんじゃないかと思った。

そして9月に、当時勤めていたゴールドマン・サックスに対して、「オンライン証券やるべし」という提案をしました。それが却下されたので10月に辞表を出しました。そして、11月に本当に辞めちゃって。

それから12、1月ぐらいから神田錦町にあるIIJ本社に間借りしました。会議室フロアの4番でしたっけ? そこで仕事を始めました。

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