その後は友達の部屋の床で寝て、コカ・コーラのボトルを集めては換金し、10キロ以上歩いて寺院にただのご飯を食べに行った。好きな授業だけに紛れ込むうちに、カリグラフィーの講義にめぐりあい、そのデザインが後のマックのフォントへとつながった。つまり〝今やっている様々なドット(点)が将来、線になってつながり、実を結ぶ″と説いたのだ。
さらに、自ら築いた会社を追い出された話、すい臓がんを宣告された話など山あり、谷ありの波瀾万丈の人生をドラマチックに語った約15分のスピーチは、失敗や挫折を乗り越えて挑戦を続けることの価値を教えてくれる。
シェリル・サンドバーグの葛藤
女性に対する差別的待遇や意識の問題を世に説く〝闘士″として知られるフェイスブックのCOOのシェリル・サンドバーグ。ハーバード大学、世銀、米政府など超エリートコースを歩んできたが、2001年、新たな仕事を探して、シリコンバレーにやってきた彼女に待っていたのは、ドットコムバブルの崩壊だった。
ある女性社長には「あなたなんか雇うわけないわ」と言われながらも、いくつかのオファーをもらう。その中の一つがグーグルだった。しかし、グーグルの出した条件は、他の会社よりかなり低いものだった。躊躇し、戸惑う彼女に、当時のCEO、エリック・シュミットはこう言ったと紹介する(ハーバードビジネススクール卒業式講演、2012年)。
〝ロケットに乗りなさい。成長し、社会にインパクトを与える会社であれば、(個人の)キャリアは自ずから築かれる。成長もせずに、もはやミッションなど重要なものではないという会社には、自らの停滞と社内政治しかない。もし、ロケットに乗らないかと誘われたら、「どの席に座れるのか」など聞いてはいけない。ただ乗り込むのさ″
その後、彼女はグーグルで成功をおさめ、フェイスブックへと転身。葛藤の末の賭けは彼女をアメリカでもっとも有名な女性リーダーへと導いた。
オプラ・ウィンフリーの失敗から学ぶ力
4つ目は実業家としても才覚を発揮するタレント、オプラ・ウィンフリーの2008年のスタンフォードでのスピーチだ。大学を卒業後、地方局の夕方のニュースで、アンカーを務めることになったが、上司にこう言われる。「変な名前だ。名前を変えなさい。スージーではどうか?」「見た目も変だ。美容院に行きなさい」。無理やりパーマをかけさせられ、髪は抜け落ちてしまい、結局、頭をそらなければならなくなった。その仕事も結局失うことになった。
〝我々はみんな、つまずきます。挫折もします。壁にぶち当たることもあるでしょう。それは、進路を変える時だと人生が教えてくれているのです。だから、すべての失敗に聞いてみてください。この失敗は私に何を教えてくれようとしているのか、と。その答えを得た時、あなたは前へ進めるのです。もし、その答えを得ないままに前に進もうとすれば、その失敗は違うパンツやスカートをはいて、また現れますよ″
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