辻仁成「息子と2人で過ごしたクリスマス・イブ」 小学生が大学生になるまで父子の心の旅の記録

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クリスマス・イヴとブッシュ・ド・ノエルと――(写真:nito/PIXTA)※写真はイメージです。
1月某日、シングルファザーになった時の絶望感はいまだ忘れられない。あの日から息子は心を閉ざし、感情をあまり見せない子になった。なんとかしなきゃ、と必死になり、どうやったら昔みたいに笑顔に包まれた日々を戻すことが出来るだろうと考えた。
ある夜、子供部屋を見回りに行ったら、寝ている息子が抱きしめているぬいぐるみのチャチャが濡れていた。びしょびしょだったのだ。ええ? びっくりして、息子の目元を触ってみると濡れていた。ぼくの前では絶対に泣かなかった。
その時、本当に申し訳なく思った。自分が母親の役目もしなきゃ、と思ったのもその瞬間だった。
ぼくも息子もあまり食べなくなっていた。大きな冷たい家だったので、これはいけないと思い、小さなアパルトマンに引っ越し、ぴったり寄り添ってあげるようになる。
ぼくの部屋と息子の部屋は薄い壁でつながっていた。がさごそと、いつも寝返りをうつ息子の音を確認しながら、ぼくは眠りに落ちていた……。ぼくは胃潰瘍と診断され、毎日薬を飲んでいた。体重が50キロを切る勢いで落ちていた。食べなきゃ、と思った。そのためにはおいしいごはんを作らなきゃ、と思った。
(中略)
食べることは生きることの基本だった。どんなに忙しくても、ちゃんと料理をすること、そこにそれなりの時間を注ぐこと、それがぼくにとっての再生の第一歩にもなったのである。まもなく、ぬくもりのあるおいしい料理を通して、息子の言葉や声や微笑みが戻ってきた。明るさが戻ってきた。それなりの幸せも戻ってきた。
ぼくは、父であり、母であった。
(辻仁成『パリの空の下で、息子とぼくの3000日』から。今回は特別に抜粋したものを、3回に渡ってお届けします)

二人でクリスマス・イヴ

12月某日、二人きりになって何回目のクリスマス・イヴであろう。今年は話し合って、大がかりなクリスマスの飾りつけはやめた。

「もう高校生だから、やんなくていいよ。今までありがとう」と息子に言われた。

どこかに旅行でも行こうかと思ったが、フランス国鉄のストは年明けまで継続が決定、1月9日に大規模なデモまであるらしい。いったいいつまで続くのだろう、ストライキ。TGVも動かないので、家にいるしかない。さすがに息子の仲間たちもマノンもニコラも遊びには来ないので、いよいよ二人きりのクリスマス・イヴとなった。寝正月というのがあるのだから寝クリスマスがあってもいい。でも、なんとなく寂しいから景気づけることにした。まずはケーキと夕食の買い出しに行かなければならない。クリスマスは日本における正月みたいなものだから、明日は店が全部閉まってしまう。何か買っておかなきゃ、悲惨な年末になってしまう。

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