ドンキホーテはなぜここまで強くなったのか

カリスマ安田会長が築き上げたモデル

「激安の殿堂」との異名も取る(撮影:風間 仁一郎)

「ドン、ドン、ドン、ドンキ~、ドンキホーテ~♪」

店内に流れる印象的なテーマ曲や雑多に積まれたユニークな商品の数々――。独特な店舗形態で深夜まで営業する「ドンキホーテ」。首都圏を中心にグループで全国約280店、売上高6000億円超を誇るディスカウントストア1位の企業だ。

そのドンキホーテをつくりあげたカリスマ経営者が、突然の退任を表明した。安田隆夫氏(65)。ドンキホーテホールディングスの会長で、創業者。1989年の創業以来、2014年6月期までに25期連続で増収増益という偉業を達成してきた人物が、6月30日付で創業会長兼最高顧問に就く。代表権のない新設の役職で後任の会長は置かない。国内グループ企業のすべての取締役も退任し、CEO職は大原孝治社長に譲る。

確かに安田氏自身から、これまで何度も引退の予言は繰り返されていたものの、65歳は経営者としてはまだまだ活躍できるともいえる年齢。一線を退く決意を聞かされると、残念な思いがする。「ロレックスからトイレットペーパーまで」販売する特異な小売店として異彩を放つ。カリスマなき後も競争力を保っていられるかという課題はあるが、ここに至るまでにドンキホーテがどのように強さを身に付けてきたのかの秘密を探ってみよう。

誕生とマーケティング手法の偶然

岐阜県大垣市生まれの安田氏は、「NHK以外のテレビは見るな」としつける厳格な父親のもとで育ち、慶応義塾大学に進学した。麻雀にはまり、ドヤ街で働いて学費を払った。全共闘世代なのに、学生運動には参加せず。理由は、すでに労働者として汗を流していた立場からすると、働きもせぬ学生が戯言を垂れ流しているとしか思えなかったからだ、著書などで伝えられている。筆者はここに、リアルに徹する商売人魂の萌芽を見る。

1978年、29歳のときに小売店「泥棒市場」を開店。設立当初、売り上げが芳しくなく七転八倒した安田青年が目をつけたのは、廃盤品。メーカーや問屋の倉庫に眠っている、いわば不良債権。会計上、これなら簿価上はゴミ同然に減損している。だから、メーカーや問屋も二束三文で叩き売りしてくれるはず。

彼らのもとを何度も通った安田青年は、メーカーや問屋からついにその仕入れを可能とした。そしてすぐさま入荷した無数の商品を陳列しはじめた。そして手書きの店内広告を書きまくった。これが後にいう「圧縮陳列」であり、「手書きPOP洪水」だった。ドンキホーテを語るとき欠かせない2つの手法は、もとは偶然の産物にすぎなかった。

この泥棒市場は大ヒットし、お客から「盗んできた商品を売っているから泥棒市場なんですか」と聞かれるほどだった。この大ヒットがさらに副産物を生んだ。安田氏はまた、深夜営業について小売業のなかで最も早く目をつけた一人だった。人手不足のため深夜に荷解きをしなければならず、そのあいだ開店し続けていた。そのときに意外なほど多くのお客がやってきた。「夜は儲かる」――。これまた偶然の発見だった。

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